「鹿島立ち」のほんとうの意味を知る人がいない-かんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語 4

委細心得にある鹿島・香取の由緒

委細心得(いさいこころえ)という倭人天族、後の大和朝廷の母体となる政権に仕えていた弓前一族が伝承した言い伝えがあります。

それによると、四世紀半ばの頃、天照大御神の命によって日本建国の一環として、東路(あづまじ)の果ての鹿島と香取に、宇宙最大の神であるタカミムツ大霊(おおひ、天御中主<あめのみなかぬし>ではありません))の分霊である垂力(たぢから)の左右の二つの珠(たま)、ピカとプツとを祀ったことが書かれています。

ピカとプツ、これが、鹿島と香取の神なんです。

これは何のためでしょうか?

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唯物論的歴史観では唯物論西洋医学同様、真実は見えない

一般の唯物論的歴史観を持っているほとんどの学者は、あわれにも軍事的見方しかできません。

あきめくらだからですね。

鹿島・香取を武の神ととらえるところからくる安易な解釈です。

鹿島・香取を拠点としてまた最前線的基地として対東北地方の蝦夷対策としてしか彼らには見えないのです。

ほんとうは、日本を霊的に活性化するための霊的仕組みなど知る由もないんですね。

彼らには、見えない世界が全く分かりません。

これが、人間とは何か、とか人間の心ないし霊的世界といわゆる現実との関係などロクに知らない唯物学者の低レベルの歴史解釈なんです。

旧来の西洋医学によるがん治療と全く変わりません。

ガンが出来れば、その目に見えるガンを斬る、放射線でつぶす、抗がん剤でがん細胞を死滅させる。

子宮ガンならそれを根こそぎ摘出する。

それでもまた子宮がんが出てくる、根治できない。

唯物論で対症療法しかしない、できない、これが従来の非量子力学的医学です。

歴史観でも同じ見える世界の分析でしかしない、できない。

だから、鹿島の御神座は東北ではなく「タカミムツヒ・タジカラ・ピカ・プツ」の鹿島の神の宇宙力の出づる東の方を向いている意味も分からないのです。

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「鹿島立ち」のほんとうの意味

それは、実は「鹿島立ち」をさせる為です。

これが霊的仕組みなのです。

そのために九州からはるばると中津・弓前の一行がやってきて鹿島と香取の宮を創建したのです。
何故、東路(あづまじ)の果ての鹿島と香取に宇宙神を祀ったのか、というのが古来からの謎となっているが、その答えはここにあります。

香取神宮

委細心得の記述です

「ここ に、 神 呂 美 垂 神 産 積 大 霊(たかみむつおおひ) の 日毎 の 霊 垂 育(ひたち) は、 垂 力 (たじから)の 珠 によって、 日 ごと わかち 与え られ、 大八 州(おおやしま) 鎮 り 治まら ん」 と。

最後 の お告げ は、 垂 力 の 二つ の 珠、 鹿島 と 香取 の 神 の 力 によって、 その 力(エネルギー) が 大八 州、 すなわち   日本国 全体 の 神社 や 産土 に 必要 に 応じ て 配給 さ れ 日本 全体 が 鎮まる で あろ う、 という の です。

これはものすごいことなんですよ、本当は。

この 鹿島・香取 の 神 の 持つ 力 によって、 日本国 全体 が、 鎮まり 安国 に なる、 という「 委細 心得」 の 伝承 と 趣旨 は、 実は、『 古事記』 や 大祓 詞、 そして 常陸風土記 などの中に、 それぞれ 微妙 に 違っ た 表現 では あり ます が、 はっきり と 述べ られ て い るんですよ。

つまり、 この 鹿島・香取 の 神 の 持つ 力 によって、 日本国 全体 が、 鎮まり 安国 に なる、 という こと です。 いいかえ ます と、 それ は 日本 の 国 への 宇宙 からの 力 が「 鹿島 から 立ち 起こり、 配給 さ れる の だ」 という こと を 言っ た もの だ という こと です。 くりかえし ます が、 それ は、   古事記、 遷 却 崇 神祭(たたるかみをおいやらうまつり)、 大祓 詞(おおはらいし)、 そして 常陸風土記 香 嶋 郡(ひたちふどきかしまごうり) の 記述 の なか にもあります。

そして、その自然の実体は既に述べましたように、「宇宙神タカミムツ大霊(おおひ)の分霊である垂力(たぢから)の左右の二つの珠(たま)」という表現からも分かるように、日毎、東の空の宇宙全体から降り注いでてくるエネルギーそのものなんです。

天の方の力をタケミカツチ、弥生語で「ピカ→ヒカ→ミカないしイカ」で、意味するところは、「天から降りそそぐ威大な力」です。

香取のフツヌシとはどんな神?

それを地で受け取りチャージする香取の神、というわけです。

つまり、同じ宇宙エネルギーが地に下り、これをを地の力として祀ったのが、フツヌシ、弥生語で正確に言うと、「プツツムノゥ」で、意味するところは「大地から湧き上がる力」です。

だからこそ、磐裂(いわさく)・根裂(ねさく)の神の子、磐(いわ)筒(つつ)・磐(いわ)筒(つつめ)女(め)の子(記紀)というんですよ!

これに関しては記紀は実に正しく伝承している、と言えます。

この自然の実体は、日本の中では真っ先に東路の果てから出現する、だからこれを祀るのに最もふさわしい所か「東路の果て」鹿島・香取の地しかないのです。

鹿島・香取の地にはそうした必然性があります。

従って大和朝廷による東国制圧の為に出雲からやってきて武神である鹿島・香取を祀り軍事的前線基地とした、というわけではありません。

少なくともそれが最も大切な理由ではない、ということです。

とにかく古代の人々の「まずは、軍事ではなく神事(かむごと)を第一とする」霊的仕組みを理解してほしいものです。

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