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ニギハヤヒという天孫の正体
さて、『旧事本紀』については、まず第一には、その中の「一二三の祝詞」が「天津祝詞の太祝詞」にあたるという主張がありますが、果たしてそういえるかどうかということ。
もう一点は、「ニギハヤヒ、別名、天照国照彦天火明命(あめのほあかりのみこと)」という天孫の正体についての弥生語による解明です。
おもしろそうではないですか。
「一二三の祝詞」の方は少し長くなるので、「アメノホアカリ」の方から片づけていきたいと思います。
「天火明櫛玉饒速日(あめのほあかりくしたまにぎはやひ)」という天孫は、日本書紀では饒速日命(にぎはやひのみこと)、古事記では邇藝速日命と表記されています。
先代旧事本紀では、「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」と称しています。
名前の「天照国照」「火明(ほあかり)」からわかるように太陽の光や熱を神格化した神である、とウィキペディアにありましたが、弥生語の分析からすると、実はまさにその通りなのです。
どうしてそう言えるか。
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天火明命とは、「神文(かみふみ)」の中の弥生語では「太陽」の事です
例によって、弥生語という鍵でこのものの正体を解きあかしていきたいと思います。
天火明命とは、「神文」の中の弥生語では「太陽」の事です
「弓前文書」のなかの「神文」第一章第二節に「オピメアカム(o pi mai au ka mu、どのようにして太陽が生まれたか)」というところがあります。
そこに、太陽生成の最終段階を、「アマノィポアカリ(a ma noi pou au ka ri、宇宙で輝く存在になった)→アマノホアカリ→天火明」とあります。
ようするに、天火明命とは、「太陽」の事です。
想像上のニギハヤヒ
だから、ニギハヤヒは別名、天照御魂神(『神社志料』)とも言われるわけです。
この限りでは正しいと思います。
なお、古代P音は、平安時代にはもうH音に変化していることは国語学会では定説となっています。
上田萬年(うえだかずとし)という高名な国語学者もこのP音の変化のことを主張されています。
ついでに上田先生の教え子には新村出(にいむらいずる)、橋本進吉(はしもとしんきち)、金田一京介(きんだいちきょうすけ)などのそうそうたる著名な国語学者がいます。
なお、これも有名な作家の円地文子(えんちふみこ)は先生の次女です。
なので、古代語「ポアカリ」は「ホアカリ」となるのです。
「ニッポン」と「ニホン」と、なぜ二通りの言い方があるのかも、以上の理由からです。
さて、そうすると、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 これは 名前を重ねただけの、旧事紀編纂者の創作神の可能性が濃厚に漂ってくるのです。
天照国照尊(あまてるくにてるのみこと)
彦火明命(ひこほあかりのみこと)
櫛玉命(くしたまのみこと)
饒速日命(にぎはやひのみこと)
天照国照尊 は、説明の必要はないでしょう。
彦火明命は、太陽の出来上がった状態の、元来は弥生語である、ことは解明しました。
櫛玉命 のクシタマは、奇魂の意を込めたつもりでしょう。
「クシタマ、奇魂」とは一霊四魂(いちれいしこん、生命は、荒魂<あらたま>・和魂<にぎたま>幸魂<さちたま>奇魂<くしたま>の四つのレベルがあるという神道の考え)のなかで本体的意味を持つもっとも奥深い魂の意味をもっています。
まあ言ってみれば、ここでは、これも一つの修飾、称えごとの表現にすぎないもの思います。
最後の「饒速日命(ニギハヤヒ)」は、太陽神、オオヒルメムチ(天照大御神)の孫として、記紀(古事記・日本書紀)が記すニニギの尊のニギにあやかり、しかもその兄「ニギハヤヒ」という設定は、明らかに編纂者の創作である、と容易に推測できるものなのですがいかがでしょうか。
ようするに、天照大御神の孫という皇孫ニニギと同等の先祖という肩書を物部氏としてはその権威付けにほしかった、ということではないでしょうか。