国常立(くにとこたち)は神文を原典とする作られた神
さて、火の玉のウマシアシカビヒコヂの次は、古事記では豊雲野神(とよくもののかみ)です。
次に天常立神(あまのとこたちのかみ)次に国常立神(くにのとこたちのかみ)となっています。
では原典の神文ではどうなっているか。
古事記の豊雲野神に当たるアマツムタクモプルノは同じです。
そして、次にアマノトコダチが来るところは古事記も神文も全く一緒なのです。
次に来るのが神文では天狭土神(あめのさづちのかみ)となっているのですが、古事記の編纂者はどうやらこれを「土」と思ったらしく、後に出てくる山の神と野の神の所へ移動してしまうのです。
その代わりに、古事記編纂者の目論見はもうひとつあって、アメノトコタチとペアとする国の常立を作るための、たまたま神文にうまい具合に国常立を作れそうな格好の発音の神が二つ並んでいたのです。
それがアマノィクノザチとアマノイトコヂです。
これを合体させ組み合わせると、クノザチとトコヂでクニノトコダチ(国常立)が出来上がるわけです。
国常立神(くにのとこたちのかみ)の誕生です。
.これは神文と古事記を照らし合わせてよく見ればよくわかると思います。
こうして、国常立が作られた神だと思わせる他の証拠としては、記紀共には、この国常立の具体的な説話が一切ない、という致命的な欠陥があることです。
大本教(おおもときょう)の出口王仁三郎(でぐちわにさぶろう)が教祖出口直(でぐちなお)に神がかりしたその神を勝手に国常立神と権威付けたのは王仁三郎らしいこじ付けです。
一霊四魂の説でもでたらめな解説をとうとうと語るくらいだからこの国常立の素性にしても王仁三郎らしい一大創作である、と言ってよいものです。
すでに鎌倉の昔、中世の伊勢神道の度会神道も、内宮の天照大御神
大本教教祖 出口直(なお)
と対等ないしその上を行こうとして、外宮の豊受大神(とようけのおおかみ)を実は、天の中心にまします天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)とし、この神が地球に現れたのが国常立神だというような妄説を展開した歴史があります。
こういうものを根拠として、王仁三郎も勝手な説を打ち立てて煙に巻いていたというわけです。
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天之御中主神は発展的にタカミムスビになっている
既に何度も申し上げておりますよう、アメノミナカヌシとは倭人弥生語のアマノマナカヌチとして宇宙創成の頃の無限を秘めた一大混沌状態(これをヌチ、主(ぬし、あるじ)の意味ではなく、宇宙混沌の意味)の神でした。
それが、何億年かの後に「物質を生み出さんとする意志の」カミムスビ、そして実際の大宇宙を展開している宇宙大の神、タカミムスビへと展開している今があります。
この宇宙から発展的に解消していったある時代の宇宙神が天之御中主神であるのに、いまだに固定的に天の中央に永遠にましますと考えているわけです。
何度も言いますように、だからこそ、天之御中主神は宮中八神殿にも、践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい、天皇即位に
宇宙創成
伴うお祭)にも平安時代にできた公文書である延喜式(えんぎしき)にも出てこないのです。
見落としなどではないのです。
そんな大事な見落としなどあろうはずがありません。
どうしてこの理がわからないのか、と思います。