紅白はなぜめでたい印になるのか?
前回に引き続き紅白の吉祥印について 考えてみます
前に紅白はそれぞれ白黒と言っても同じが原義であること、それぞれが天と地、陰と陽、子(ね)と午(うま)、 臼(うす)と杵(きね)の関係であり、それはまた神霊界と顕界 (けんかい、見える世界)を 色で表していることを述べました。
そういう関係を持つ紅白を合わせるところから、それが吉祥印となる、ということを述べました。
このことは、あるけれども見えない世界(赤)と現れている世界(白)を合わせること、言い換えれば、見える世界から見えない世界をお祀(まつり)りして顕幽(けんゆう)を結ぶことによって、 平和と吉事(きちじ、縁起がいいこと)が訪れるということです。
もし赤の世界(天、 霊)を認めず、死んだら終わりという考えで我利我利の道に走るなら、つまり白だけの世界(地、 物)しか認めないなら、不吉な禍事(まがごと、災難)の世界になりますよ、という意味がこめられているわけです。
さらに身近な例で言うならば、赤の示す女性を認めず、白の男性だけでも世の中はおかしくなることは明白です。
そして女性は陰の存在なれば、奥に引きこもる所から「奥さん」といい、陰 の子を方位で言えば 北に当たるから「北の方(きたのかた)」とも言うのです。
一方、男が陽の存在であれば 、陽の顕界では表に出て活躍する、そうなる人だからこそ「主人」と言うのです。
主人と召使の関係の主人の意味ではありません。
陽の男は食料獲得の為に主に表で働くので主人であり、奥さんは食べ物を料理する内助の仕事という古代からの男女の在り方を表現したものです。
誤解しているむきがおられるようです。
メオトの道とは、メは女でオは 男でトは結びつける意味ですから、それは紅白合わせの宇宙の道であるので、夫婦の道は神の道というわけです。
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日本の紅白の国旗
さてこの紅白の例として、今回は国旗を考えてみます
日本の国旗は、白地に赤く歌にもあるように、単純ながらも気品のある美しい旗です。
それもそのはず、この旗には、先の紅白の宇宙的規模の意義が込められているからなのです。
天あるいは幽界(ゆうかい、あるけれども見えない世界)を表す赤の円相、地あるいは顕界(目に見える三次元の世界)を表す白の 方形によって調和する、深遠なる宇宙の実相を具現しているのが日本の国旗です。
この旗が歴史に登場するのは後醍醐天皇(ごだいごてんのう)時の南北朝(1336~1392年)時代と言われています
元弘元年(1331年)後醍醐天皇が笠置山において 南朝の将卒に賜った標章(ひょうしょう、目印)という。
しかしこの国旗に表現される深甚なる考えは 、はるか昔から物証としてはすでに古墳時代に現れています。
それは有名な前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。
この読み方は、本当は、前円後方墳(ぜんえんこうほうふん)が正しいのですが、ここではこれには触れません。
どうやら先輩の偉い考古学者が名付けてしまって訂正が効かなくなってしまった、という逸話が残されています。
それはともかく、これも国旗と同様、天地顕幽(てんちけんゆう)の深遠なる形を表現しています。
前方後円墳
国旗は、しかし形だけでなく色彩によっても、この天円地方形(てんえんちほうぎょう)を表現しているのです。
真ん中の赤い日、は霊(ひ)でもあり神霊界の陰のシンボルでもあり、神道祭祀において円鏡の 真澄の鏡(ますみのかがみ、非常に澄んでいる鏡)となるのです。
方形(ほうけい)は太柱(ふとばしら、諏訪大社の御柱など)逆鉾(さかほこ、京都八坂神社の山鉾)方舟(はこぶね、長方形の船)などは陽の世界に相当します。
またその円相が 日出づる国、日の本(ひのもと)の意味を体現することは言うまでもありません。
その円を方形の形で調和して円満となるのです。
諏訪大社の御柱
源氏の白旗、平家の赤旗、と言いますが、これもお互いに争わず両者相和し、紅白と合わせて日の丸となって帝(みかど、天皇)をお守りするならば、日の本は平和な世が来ていたのです。
ともあれ、白旗だけでも降参という意味ですし、理想ばかりで人間の現実を見ない赤旗だけでも片輪だということを意味しているのです。