おめでたい印としての紅白の色
さて今回は、おめでたい印の紅白について考えてみたいと思います。
赤と白は、日本では昔からおめでたい吉祥(きちじょう、めでたいこと)の印とされてきました。
紅白の餅(もち)、水引(みずひき、紅白や黒白の帯紐)、幕、旗、などいろいろな所で使われています。
一方、黒と白は葬儀に使われ、常識ではむしろ不吉のしるしのように受け止められているかと思います。
ところが例えば勅使参向(天皇のお使いが出向くこと)の際にいただく幣帛料(へいはくりょう、神前にお供えする金銭)の水引は、見たところ黒と白です。
鹿島神宮で勅使をお迎えして祓所(はらえじょ、お祓いをする所)とするところも、幔幕(まんまく、式場に張り巡らす幕)もやはり白と黒なのです。
水引
地鎮祭やめでたい工事のお祭りに、白黒の幕を使っているのを見かけたことがあるかもしれません。
現在は黒に変わって紺と白を使っていることが多く見受けられますが、おそらくこれは、元々白黒であったものを不祝儀(ぶしゅうぎ、不吉な出来事、葬儀に対して言うことがある)を連想させるから紺と白にしたのだと、私は推測しています。
黒と白の幕
赤と白が黒と白としてもおめでたい時に使われるわけですが、それは「赤極まって黒となる」と言う原則を踏まえたものだと思います。
赤白よりも、そういう意味では、白黒の方がおめでたい重さが大きいという意味を込めているのです。
紺と白の幕
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黒白が赤白よりもめでたい色である理由
しかし、一般には、白黒がどうしてめでたい印となるのか、今ひとつわからないところだと思います。
同時に、葬儀に使う黒と白はどのような意味があるのかも、今ひとつ分からないところがあると思います。
このことについて考えてみますと、以上の原理の説明には、実は、太陽の光の色を考えると分かり良いかと思います。
太陽が最も高く昇る 時を正午と言い、その前後を午前と午後と言っています。
午(うま)の刻、昼の十二時は陽の極点であり、色で言えば太陽は白色です。
午は馬であり、馬は昔から陽の動物とされています。
空間方位で言えば南です。
午に木へんで杵(きね、臼に穀物を入れてつく道具)となり、陽あるいは男性のシンボルとなるのです。
よって、午(うま)は、はっきりと見える世界、顕界を表わします。
一方、太陽がその反対の極にある時を子(ね)の刻といい、夜の12時であり陰の極点です。
暗闇であるから色で言えば黒となります。
子はネズミ、ネズミは夜陰(やいん、夜中の暗い時)に動きます。
よって、陰は女性原理で 、女の子に花子などのように子という漢字をあてるのはそのためです。
空間方位で言えば、北であり、顕界から見れば暗いから、あるけれども見えない世界の幽界(かくりよ)であり、霊(れい=0)の世界であり、また神界の世界でもあります。
それで神棚を南に向けてお祀りするというわけです。
神々は北におられるという信仰です。
また子(ね)が女であるというのは、女を「ねえさん」といい、ギリシャ語でも女神を「ネイス」というのも不思議な共通点ですが、わが国でも、あるけれども見えない高天原の最高神を天照大御神(あまてらすおおみかみ)と申し上げ女神としています。
また、赤と白ですが、太陽が最も赤い時、それは日の出と日没の時です。
これも陰の世界に隣接する時に属し、陰と陽とが対峙(たいじ、向き合っていること)しています。
赤と白は、同時に黒と白であり、それは同時に霊と物質として対峙し、 この宇宙全体を、あるけれども見えない世界と見える世界として表現するおめでたい印でもあるのです。
葬儀に黒白のほんとうの理由
ではなぜ、葬儀に白黒かといえば、死出の旅路に出発するものが天界に無事渡れるようにとの説なる願いを込めて、紅白よりももっとめでたい吉祥のしるしの黒白を添えて荘厳 し、送り出すという意味が込められていると思います。
ですから、結婚式に白黒の礼装も理にかなっているわけです。
また、紅白の餅の配置ですが、赤を上に置くのは、霊界あって顕現界があるのですから、赤ないし黒が奥、白が表、上下で言えば赤が上となるのです。
神社の本殿と拝殿とを色で分けるとすると、本殿が黒で、拝殿が白、すなわち、白木(しらき、何の色も塗っていない木)てあるのも、そういう深いわけがあるのです。