示偏(しめすへん)は神事(かみごと)を表す漢字ですーシリーズ8

神という漢字はなぜこんな字になっているか

漢字のしめすへん、例えば神様の神という字の左側は示すへんですが、今回はこの話をします。

普通カタカナのネのように書いてありますが、本当は示すという感じです。

そしてこのしめすへんは、調べてみますと、一般に言われている解釈は、次のようなものです。

このしめすへんは、「神様への捧げものを置く台」の意味だというのですね。

それで、神事(かみごと)や神様に関するいろんな文字の漢字があるのだ、と解釈していますが、その他に、しめすへんは「天」を表すと言う解釈もあります。

どうやら、これが本当は正解だと私は思います。

直接、天を表すという風には記されていませんが、しめすへんが、日、つまり太陽ですね、それと月そして星を表す、 すなわち日・月・星の三つがまとまって垂れ下がっていることを表す、これが本当のしめすへんの正しい解釈だと思います。

何故そう考えるのか、何故そう言えるのか、といいますと、そう考えた方がよく辻褄が合うしめすへんの漢字がとても多いからです。

例えばすでに述べた神という言葉はしめすへんと申という字です。

申は、申すというくらいですから下から上に申し上げるという意味であります。

また申は雷の意味でもあり天地を結ぶどちらかといえば地の方を指しています

音から言うと、シンで、身 、伸、臣、針、からも、どうも天に対する地の矢(や)の意味持っているようです。

従って、神という字はしめすへんが天の意味ですから、申が地で、それを合体させた文字だということがわかります。

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神という漢字は三種の神器を表している

言い換えますと、既に何度か別のところでも申し上げましたように、天は鏡、地は剣ですから、神という漢字自体が、「剣鏡の神璽、けんきょうのしんじ」、剣(つるぎ)と鏡によって表される神の印、すなわちこれで神という文字の意味がよく見えてくると思います。

そして、古語拾遺(こごしゅうい、記紀<古事記・日本書紀>に次ぐくらい重要だとされている日本の古典、平安時代の古典)の中では、この「剣鏡(けんきょう)がそろえば、勾玉(まがたま)は自ずから整う」と記(しる)されていますから、神とは、結局、三種の神器のことであり、これを図で表したのが例の「太極図(たいきょくず)」ということになるわけなんですね。

左の黒い勾玉に鏡が上に隠れており、右の白い勾玉の下の所に鏡に向かっている逆鉾が有り、この両方を勾玉が繋いでいる、これが太極図の秘めたる実相です。

これが、また、天照大御神とスサノウの尊と月読命(つくよみのみこと)を神々の中でも、なぜ特別に「三貴神(さんきしん)」と呼んできたかの理由です。

太極図

それは、同時に、太陽と地球と月のシンボルの合体を表しています。

だからこそ天皇にとっては「剣璽等承継の儀(けんじょとうしょうけいのぎ)」が必要であったし、また天皇が即位する時とか伊勢に参拝の折には共にこの剣璽が不可欠であったわけです。

つまり、天皇とは天地一体の神と共にある存在だということです。

また神を祀る最高の神職でもあらせられるということです。

マスコミではこの三種の神器の意義を分かってか分からずか分かりませんが、なぜか深くは触れようとはしません。

おそらく、神道をひとつの宗教と見る現在の憲法の見地からなのかもしれません。

あまりこれを強調すると国民統合の象徴としての天皇の立場をさらに神として祭り上げる可能性の観点からこの意味を深く知らしめないようにしているのかもしれません。

がやはり人々は本当のところを知りたいと思いますので、あえて私はここに書かせていただきました。

カミは元はカム、その弥生語の意味を解く

ここで、カミの一音一義の弥生語からの解読をしておきます。

カミという言葉は、比較的新しく、飛鳥か奈良時代の渡来人が主導した新しい日本語としての大和言葉生成の中で生まれた言葉です。

元々の「神」に該当する倭(やまと)言葉(ここで言う倭言葉とは、九州北西沿岸出身で後に大和朝廷を樹立した倭人天族が使っていた弥生語)は、「カム(kamu)」です。

中国や朝鮮をまたにかけて海洋商業貿易で当時の日本を、紀元前からリードしていた彼らが使っていた言葉です。

内地にいた、いわゆる縄文人でも、神のことを「カムイ」といっていますから、この点では大昔からの共通点があったと思います。

もともと、DNAはおなじ日本人です。

カムは「カムナガラの道」とか「カムロキ・カムロミ」とか「カムサビた社(やしろ)」などカムはカミよりも古い日本語です。

カムとは、弥生語で解くと、カムのカは「変化を表す母音アと結合して、<最大の変化>を意味」し、倭人天族の世界観では、神とは、まず第一には「常に流転し変化を繰り返す宇宙大自然」のことですから、まずそういう意味があります。そして「ム」とは、マ行の物質界を表す言葉で、しかも、ㇺで、「進みゆく」意味ですので、「カム」で、「変化・流転する宇宙大自然の躍動ないしこれを起こしている存在」の意味です。

神とはそういうものではないでしょうか。

そして、弥生語の「カムロミチ」とは「流転し変化を繰り返す宇宙大自然の道」という意味で、これが後の、皆さんご存知の「かんながらの道、惟神の道」なのです。

神道のことを「かんながらの道」といいますよね。

次は社(やしろ)という字ですが、これもまた天の神を表すしめすへんと、地を表す 土からできています

土は言うまでもなく地です。

「社」とは神社のことで、天と地を結ぶところですから当然こういう漢字が生まれました。

古代の社  出雲の社(やしろ)

次に、「祈」るという字の祈も、しめすへんと斧(おの)を意味する斤(きん)から成り立っています。

斧は剣ですから、これはもう一目瞭然です。

本のご紹介をします。
スゴすぎる古代弥生語の衝撃 (kindle版) 

上巻: 前代未聞の国語のルーツ(拙著)

やまと言葉を形成するとても大切な古代弥生語 これによって多くの重要な国語 とりわけ神事に関わる言葉の意味がよく分るようになります。この弥生語の知識なしには大切な神道の言葉はほんとうには理解出来ません。たとえば、ツミ ケガレ
マガゴト ウブスナ オオヒルメ オオナムチ スサノウ ヒフミなどの本当の語源や語義はよく分らないと思います。これがわかるには 一音一義(いちおんいちぎ)という一つの言葉には必ず一つの意味があるという原理を知る必要があります。現代国語の中に生きている母音と子音のカ行からタ行までの古代弥生語を通してその解明を試みたのが本書です。

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