両刃の剣・御幣・社(やしろ)は全て神の依り代(よりしろ)ーシリーズー7

剣・御幣・お社(やしろ)は神霊降臨の依り代

もう一度前回のことをおさらいします。

鏡と剣は、鏡とご御幣との関係と同じです。

そもそも、御幣というのはこの剣の形から出て来たものなのです。

矢のシンボル、そして神の依るべき依り代となります。

それがやって鏡も抜いて、御幣だけの形にもとるようになるわけです。

この方がむしろ今では一般的ですね。

高崎正秀という神道の学者によると、古代、矛とか剣などを一口に矢と呼んでいた事実がある、と記してしています。

そして矢はは家なのです。

そこから家の神を、 屋船大神(やふねのおおかみ)という命名もよくうなずけるというものです。

屋も 船も、もともと、「矢」の別の形、つまりそれぞれがバリエーションにほかならないから

です。

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妻入りが正面の古代の神社

そして前回も申し上げましたが、古代のお宮は、矢であるからそれ自体が地の象徴であって、しかも神の依代であった、ということなのです。

巨大な矢が社であったことは、長野県の諏訪大社(すわたいしゃ)の御柱(おんばしら)がお社の原型でもあったと言えるからです。

妻入りが正面の古代の社

「下つ磐根(したついわね)に宮柱太しき立て(みやはしらふとしきたて)高天原(たかまがはら)に千木高(ちぎたか)しりて」という祝詞の表現もまた同じことを言っているのです。

従って、妻入りを正面とする古い社殿の形が本来の形であったといえるのです。

古代の鹿島のお社も、妻入りを正面としていたであろうということは、はるか昔、鹿島の御分霊を祀った春日大社の元つ 社の奥宮の正面を見ても想像することができます。

さて次に「厳(いか)し鉾(ほこ)の仲執(なかと)り持ち」という表現を考えてみたいと思います。

この意味は「厳(いか)しい立派な鉾を持って仲立ちをする」という意味なのですが、なぜ鉾が仲立ちとなるのか、 これが分かると、神社神道もそれから鹿島の神の逆鉾による国譲りの交渉の意味も分かると思います。

延喜式祝詞(えんぎじきのりと)と言う文献に「大中臣茂(いか)し鉾の中取り持ちて恐(かしこみ)恐みも申(もう)し給(たま)わく」という表現があります。

伊勢の神に仕える斎 内親王(いつきのひめ)が初めて伊勢に入る時の祝詞に出てきます。

つまりは、この旨を大中臣という神職が仲介者となって、神様に申し上げる、という意味です。

では、「茂し鉾をもちて」どことどこを仲介するのか、といいますと、言うまでもなく伊勢の神と 斎 内親王(いつきのひめ)です。

この表現の中で「茂し鉾」が天地の仲介の象徴であることがはっきりとわかります。

言い換えれば、逆鉾として奉(たてまつ)ることによって、天地結びの為の地の依り代(よりしろ)となるからです。

この、天と地を結ぶ逆鉾を「山鉾として」示し盛大に荘厳しているお祭りが、有名な京都祇園(ぎおん)の八坂神社の「山鉾巡行(やまほこじゅんこう)」です。

京都八坂神社 山鉾巡行

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