天 之 御中 主(あめのみなかぬし)が消え、以後決して登場しないワケーかんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語14

記紀 によって 再編成 さ れる 以前 の 本来 の神社 神道

天照大御神 も「 かの 葦原 中国 (あしはらなかつくに)は、 専ら 汝( 鹿島 の 神) が 言 向け つる 国」(『 古事記』) と 鹿島の神をほめ た たえ るくだりがあります。

その エネルギー は、 日の本 では、 まず、 東路 の 果て、太平洋の鹿島灘、 鹿島 の 御空 より 日毎ふりそそいでいます。

そこで「 神文」 では、 鹿島 の 神 を「 ソラピカ」 と 言っ て い ます。

そういう わけ で、 鹿島 と 香取 という 地 で なけれ ば なら なかった、 ので あっ て、 これ が、 何故、 わざわざ、 東路 の はて の 鹿島、 香取 の 地 に 祀ら なけれ ば なら なかっ た のか、 という 大昔からの 謎 へのほんとうの 答え です。

神社神道、 とりわけ、 記紀 によって 再編成 さ れる 以前 の 本来 の神社 神道 において は、 自然 の 実体 を 伴う 神 だけが 祀り の 対象 でし た。

「神を人間のように擬人化している記紀神話」という視点が不可欠です

人間 の よう に 擬人化 さ れ て 神話 として 再編成 さ れ て 登場 する 神 々 は、 記紀 以後 の もの です。

オオヒルメムチ という 太陽神 は、 太陽 という 現実 の 自然 の 物体 が あっ て はじめて 成立 する 神 なのです。

オオナムチ という 大地 の 神 には、 大地 という 自然 の 物体 が あり ます。

天 之 御中 主 にも 高 皇 産 巣 も、 宇宙 レベル の 自然 の 実体 なのです。

天 之 御中 主(あめのみなかぬし)という神の行方(ゆくえ)

ついでに申しあげておくと、天 之 御中 主は高 皇 産 巣 へと昇華発展していってその後は存在しませんから、宮中神道はもちろんのこと、擬人化された神々の記紀でさえもそれを正しく伝えて、それ以後は全く天 之 御中 主を登場させなかったこと、そして、一度もどこにも祀らなかったのは誠に正しい宇宙最高神への正しい理解であった、と言わねばなりません。

現在祀られている天 之 御中 主はすべて、江戸後期の平田篤胤らの唱導によって祀られているものばかりなのです。

調べたら分かります。

このことは別の機会にお話しします。

出典:平田篤胤
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鹿島の神のフツと香取の神のフツの決定的な違い

そして 鹿島 の 神 には、「 東 の 空 から 日毎、 起こり 発する 宇宙 大 のエネルギー」 という 自然 の 実体 が あり ます。

雷 は そこ から 現象 する 一例 に すぎ ませ ん。

だから、雷の神という鹿島神の捉え方は正しくはありません。一面的です。

ましてや古代の建国時代のある人間の英雄を神格化した神などではありません。

鹿島 の 神、 ピカ は、 別名、「 フツ の 御魂」 とも「 建 布 都、 タケ フツ」( 記)、「 豊 布 都、 トヨ フツ」( 記) という よう に、「 フツ」 の 大神 とも 言い ます。

ところが、 香取 の 神 も「 経 津 主、 フツヌシ」 と 同じ よう に「 フツ」 と 言い ます。

これ まで、 この 鹿島 と 香取 の フツ は 同じ なのか、 違う のか、 これ が 解け ない ばかりに、 鹿島 と 香取 の 神 が どういう 関係 に 在る のか 最も 肝腎 の ところ が わから ない まま、 今日 に 至っ て い ます。

この こと について、 これ まで、 いろんな 仮説 が 立て られ て き て い ます が、 われわれ を 十分 に 説得 する に 足る 仮説 は なかっ た と 言っ て よい と 思い ます。

肝腎 な こと が わかっ て い ない から です。 有名 な 神道 学者 本居宣長 も 悩ん だ 末 に、 鹿島 が 荒御魂 で 香取 が 和御魂 と 決着 さ せ まし た が、 今一つ 説得 力 に 欠ける こと は 否め ませ ん。

ところが これ を 弥生 語 で 解け ば、 一目瞭然 となり ます。 なぜなら、 それ は 彼ら が 使っ て い た 言葉 だ から この 言葉 が わかるのです。

鹿島・香取 の 神 の 自然 の 実体 が、「 東 の 空 から 日毎、 起こり 発ち、 動き出し、 振 い 出 て くる プツ( Putsu) の 神」、 地球 レベル の 宇宙 の 精気 で ある、 という はっきり と し た 基本 認識 が まず 必要 なの です。

そして、 これ を 真に 理解 する には、 なんと いっ ても これら の 神 々 を 祀っ て い た 倭人 天 族 が 使っ て い た 言葉 からの 解明 に まさる もの は あり え ませ ん。

では 鹿島 と 香取 の、 彼ら が 使っ て い た 弥生 語 における「 フツ」 の 違い を 見 て み ましょ う。

鹿島 の 神、 プツ、 Putsu の「 ツ・tsu」 と 剣、 ツルギ の「 ツ・tsu」

は 同じ「 ツ・tsu」の世界で、鹿島の「ツ」は、 古代 弥生 語 ツァ 行 の「 狭小 によって できる 鋭さ」 の 意味 を もつ「 ツ・tsu」なの です。

ここ から 鹿島 の 神 は「 剣 の 神」 と 言わ れる の です。

ついで に 言え ば、「 鋭い」 も、 元々 は「 ツル ドイ・tsurudoi」 で 同じ「 ツ・tsu」 です。

一方、 香取 の「 ツ」 は 物量 を あらわす タ 行 の「 ツ・tu」 なの です。

イツツ( 五つ) などという時の、 物量 の 程度 を 表す「 ツ・tu」 なの です。

同じ 強烈 な 宇宙 大 の 精気 の 力 の うち、 天 から 地 への 雷 の よう な「 天 の 力」 が「 フツ の 御魂」 の 鹿島 神 で あり、 それ が 地 に 入り 磐 裂・根 裂(岩を裂き、根を裂く) となり 磐 筒 男・磐 筒 女 (いわつつお・いわつつめ)と なっ て 積み重なる よう に フツフツ と 下 から 上 へ と噴出 (ふんしゅつ)して くる マグマ の よう な 地 の 力、 それ が 香取 の「 プツツムノ、 すなわち フツヌシ」 の「 ツ・tu」 の 神 なの です。

鹿島 と 香取 は、 従って、 対 の 関係 に あり ます。

何度も言いますように、鹿嶋は剣で、香取はその剣の鞘(さや)です。

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