鹿島・香取を東国に祀ったのは東北エミシに対する軍事的理由からではないーかんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語13

続、ピカ・プツをなぜ鹿島・香取としてわざわざ太平洋側の東国に祀ったのか

前回に続きます。

ピカ・プツが何故わざわざ太平洋側の東国に祀られたか、という話です。

前回までで、何故、わざわざ 九州 で 祀っ て い た 神 々 を、 鹿島・香取 に 遷し、 そういう 神事 の 仕組み を 大和 の 国 造り の 礎 に 据え た の かをお話ししました。

もう一度そのいきさつを振り返ってみたいと思います。

そもそものはじまりは、韓国や中国東部の山東半島にも行けて主に米や鉄などを仕入れては日本本土に卸してはて大いに栄えていた倭人天族が、その商業相手の国内の有力な豪族、三輪一族に利用されて大いにその商圏を脅かされたことです。

そこで倭人天族の大君は、大君側近の中津・弓前(なかつ・ゆま)に占なわせた結果、オオヒルメ(後に天照大御神とよばれる)の神から、奈良にあった三輪一族の討伐とそこに第二の王朝を開いて日本建国とすべし、との神示を得るのです。

古事記(こじき)、日本書紀(にほんしょき)の中で、約2670年の神武東遷として知られる話です。
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ただし、委細心得に記される東遷は約紀元後360年後の崇神天皇(ハツクニシラススメラミコトと言われる)によって為され、その東征に伴って、出雲から始まって、途中、崇神の言葉からもお分かりのように、この天皇は神事や神祀りに非常に秀でておられた天皇で、行く先々の道中で姫神(ヒメガミ、高級な神とコンタクトが出来る巫女<みこ>)の叔母のモモソヒメと共に神事を行いながら後の大和をめざして東遷して行ったのです。

出雲から始まって生田(いくた)、大和(おおやまと)、伊勢の外宮、それから現在、内宮と呼ばれている宮、そして最後に、すでに三輪一族が祀っていた大神(おおみわ)の神に向かって崇神は、改めて、大和の鎮めの神、又生物の神、オオ

出典:崇神天皇とモモソヒメ

モノヌチとして熱く祀ることを宣誓したのです。

実は、はじめオオヒルメからは後に鹿島・香取の神となるピカとプツの神は大和につくまでは御沙汰はなかったのです。

大和についたときいきなり叔母のモモソヒメが神がかりを起こして、オオヒルメからタカミムスビノ神のタジカラの左右の玉、ピカとプツを「東の果ての島一つだになきところに祀って、日毎立ち上るピタチ(piutatiu、常陸)を集めよ」との神示を受けたというのです。

以上は委細心得の記述です。

「 中津 は 御 雷 (ピカ)を 祀り、 大 霊(おおひ、タカミムツビ) の 力 を 表す。 剣 使わ ざれ ば 常に 鞘(さや) に あり。 ゆえに、 布土 (プツ)を 祀り、 常に 大 霊 の 力(宇宙精気のエネルギー) を 凝らす(集める) べし」 の 意味 です。

出典:鹿島神宮

「剣 使わ ざれ ば 常に 鞘 に あり」 とは 鹿島神宮 に 発する 宇宙 の エネルギー を 使わ ない 場合 は、 これ を 留め置く ところ が 必要 である。 それ が香取神宮  です。

これ が「 剣、 使わ ざる 時 は 鞘 に おさめ おく」 ということで、 鹿島 が 剣、 香取 が 鞘 とは 両者 の 関係 を 見事 に 表現 し て いる と 思い ます。

「大 霊(おおひ)」 とは、 繰り返し ます が、 今 の 世 の 宇宙 の 最高 神、 タカミムツ 大 霊 の こと です。

太陽神、 オオヒルメムチ も、 大地 の 神、 オオナムチ も、 万物 が 宇宙 神、 タカミムツ 大 霊 の エネルギー によってはじめて 存在 し て います。

つまり、 大宇宙 の エネルギー によって 太陽 も 地球 も 万物 が 生かされ て いる よう に、 鹿島・香取 に集結する 大宇宙 エネルギー の 地球 レベル の 神 を 祀る こと によって、 その 力 が 全国 の 自然の 神 々 の 社 に 供給 さ れ 配給 される荘厳な 霊的 仕組 を、 天照大御神 の 命 を 受け て 倭人 達 が 作り上げ た ということだったのです。

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