なぜ千葉・茨城の古い神社は、すべて古代P音で始まる御祭神なのか?ーかんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語12

ハ行は古代弥生語ではパ行

さて、 日毎、 東 の 空 から 立ち 昇る エネルギー、 これ を 弥生 語 で、 別名、 ピタチ( Piutatiu) と いい ます.

ここで、古代弥生語に関して、古代P音のことに触れておきたいと思います。

奈良時代にほぼ成立した、いわゆる「大和言葉」でのハ行は、古代弥生語ではパ行となります。

はひふへほ は ぱぴぷぺぽ、と発音されていました。

もっとも、弥生語では、母音「え」はありません(母音「え」は韓国から入ってきました)から、「へ」に当たる「ぺ」は、heではなく、二重母音のai(「え」ときこえる)はありましたので、例えば「ぺ、(pai追いやる、意味)」のような用例はありました。

とにかく、弥生時代には、H音は、P音で発音されたのです。

近代国語学の権威、作家、円地文子の父にして、金田一京助や橋本進吉や新村出(しんむらいずる)などの師である上田萬年(うえだかずとし)は、1898年(明治31)に、「語学創見」と題して「帝国文学」に、国語のハ行の子音がかつては両唇破裂音(りょうしんはれつおん)の子音 p であったことを発表しています。

そのとおりなんですね。

例えば、今でも、日本を「にほん」とも「にっぽん」ともいいますが、これはその名残りです。

上田萬年(うえだかずとし)
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なぜ千葉・茨城の古い神社は、みんな古代P音で始まる御祭神なのか?

さて、ここで面白い話をします。

さきほど、冒頭に「ぴたち(piutatiu)」の話を持ち出しましたが、これは今の茨城のことをその昔「常陸(ひたち)」と言ったのですが、そこにはP音でなくてはならない深い理由があったのです。

「piutatiu、ぴたち」は、もともと弥生語で「宇宙エネルギーが最大に流れ来たる」という意味の言葉です。

それが「常陸(ひたち)」となずけられた理由です。

これを「日立」と書いてしまうと、もともと持っていた「piutatiu、ぴたち」の意味が限定されてしまうのです。

それではただ「太陽」の意味に限定されてしまうからです。

今の、目に見えないものは信じない唯物論的頭の持ち主は、一種の「あきめくら」とも言えるもので、東から出てくるものは日の光しか、つまり太陽しか認識できないわけです。

弥生語P音の世界は、見える世界を表すM行の世界とは対極にある見えない世界を表します。

宇宙エネルギーは目に見えない世界です。

しかし、そのエネルギーは日ごと日本の東の空から、確実に起こり来たり上り来たりて目には見えずとも立ち現れてくるのです。

だからこそ、今の茨城・千葉にまたがる東国の最も古い由緒ある神社は例外なく、この古代P音から始まる御祭神ばかりなのです。

それは太陽のことではありません。

ほとんどが太陽をも生かしている不可視のピカ、プツ、パツチ、プトタマ、プナト、ピメ、といずれもP音の神ばかりなのです。

これを祀っているのです。

「あきめくら」と申し上げましたのは、この自然界を依然としてニュートン物理学だけの眼に見える世界だけで我々が見ていて生きている、という意味です。

今や、その先の不可視の「量子の海」という世界にまで、すなわち「日毎、東の空からふりそそぐ宇宙大のエネルギー」を見なくてはなりません。

おそらく、アメノコヤネや、中津・弓前(なかつ・ゆま)のような古代人は、何等かの方法で、今の量子力学的世界を知っていたのだと思います。

たしかに太平洋岸の東国に目に見える太陽神、天照大御神を祀っている奈良以前の由緒ある古社は一つもありません。

一つもです。

例をあげてみます。

ピカとは、タケピカツチの常陸国一之宮の鹿島神宮、プツとは下総国(しもうさのくに)一之宮の香取神宮、パツチは建(タケ)パツチの常陸二ノ宮とされる静(しづ)神社と大甕(おおみか)神社、プナトの息栖(いきす)神社、プトタマの安房国(あわのくに)一之宮の安房神社、そして玉依(たまより)ピメ(もともとはヒメカミ)の上総国(かずさのくに)一之宮の玉前(たまさき)神社、なんとすべての神社が古代P音の「宇宙精気のエネルギー」をあらわす神ばかりなんです。

大甕神社(おおみかじんじゃ)

安房神社

鹿島の神の御神座は北へは向いてはいないワケ

更に、 鹿島神宮 の 場合、 御 神座 は 東 を 向い て い ます。

当然 です。

ピカ の 大神 の エネルギー は、 日毎、 東 から 発し、 それ は 香取 に 留め置か れ て チャージ さ れ、 必要 に 応じ て 西 を 向き 、ふたたび 鹿島 から 全国 の 神 々 へ「 鹿島立ち」 し て、 その 宇宙 大 の エネルギー が 日々 配信 補給 さ れる 暗 在 の 霊的 仕組み と なっ て いる から です。

「鹿島立ち」 という 表現 は、 鹿島 の 神 が 東 を うし はく 神 で、 東 は 一日 の 始まり なので「 新た に 出発 する」 ご 神徳 を 表わし た もの で ある、 といった 解説 を よく 見かけ ます が、 もともとそんな 軽い意味の もの では 決してあり ませ んでした。

実に、 宇宙 レベル の エネルギー を 鹿島 と 香取 から、 太陽 の 神、 伊勢 へも、 大地 の 神、 出雲 へも、 はた また 全国 津々浦々 の 各地 の ウブスナ の 社 へ、 従って 生き と し 生ける 万物 へ、 いま も、 日々、 発進 配給 さ れる 仕組みを造り上げたのだ、 と「 委細 心得」 は 述べ て いる の です。

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