大和言葉の中の 弥生語ーX (カァないしハァ)行は「食事に関する意味を表す」

「食事に関する意味を表す」まぼろしのX (カァないしハァ)行の言葉

X (カァないしハァ)行は、およそ奈良時代の終わり頃まで存在していた日本の言葉で、喉音(こうおん)と言って喉の奥から絞り出すように出す言葉ですが、平安時代の頃約1200年ぐらい前にはすっかりk 行とh行とに別れて言ってしまった、幻の日本語です。

なぜ喉の奥から出す言葉かと言いますと、x子音は元々「食べる」というもっとも生活の基本の世界の言葉だったからです。

喉から手が出るほど欲しいもの、とは何でしょうか?

それは、言うまでもなく、この世ではまず「食べ物」であるという事実から自然発生的に生まれた原始的な言葉だと言って良いかもしれません。

そのx (エックス)子音は古代弥生語の八母音に対応して八つあります。

xa(カ、狩)、xo(コ、屠)、xu(ク、喰)、xi(キ、刻) の単母音と xai(ケ、食) xau(カ、母)、xou(コ、子)、xiu(キ、飯) の二重母音の八つあります。

x子音が平安時代の頃には、k音とh音とに分かれたその例を少し見てみます。

例えば、なぜ「お母さん」を一方で「はは」と言い、また一方で「かかぁ」というのかは

元々xauxauというx音であったものが、 haha(はは)とkaka(かか)との二つの音に分かれていったことでよく納得されると思います。

また、人名で小川を(おがわ)と(こかわ)と二通りの言い方がなぜあるのか?というと、xokawaがhokawaとkokawaとに分かれ、hokawaは、ho➡oと変化しogawaとなったからなのです。

あるいは、人名で小山(おやま)と(こやま)の場合も、hoyamaのh音が言いずらいので脱落して(おやま)になったわけです。
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xa(カ、狩)という上代弥生語とは?

次はxa(カ、狩)の例をあげます。

大昔は死んでから行く「あの世」のことを「かくりよ」、漢字で言うと「幽世」と書きます。

この言葉は、今でも祝詞(のりと)の中の言葉として、神道式のお葬式の時によく聞く言葉です。

この言葉も、その 上代弥生語の一音一義(一つの音には一つの意味があるということです

)ということから見ていくと「なるほど」と思われる言葉なのです。

「かくりよ」は正確に弥生語で言うと、「カクロヨ」です。

    カ  ク  ロ   ヨ

   (xa)(xu)(ro)(you)  です。

幽世の想像図

カ(xa)は狩という字が当てられていますように「刈り取る、狩り狩り」という意味の最大形(a)です.

次のク(xu) とは、喰という字が当てられていますように、今で言う「食う」という言葉です。

ro(ロ)は、すでに申し上げましたように「進行する」ということを表します。

you(ヨ)はそのままで「世の中」という意味です。

つまり「カクロヨ」とはどんな世かと言うと、 肉体がまさに死ぬ時というのは、これはいかなる生きとし生ける生物もそうですが、死と言う「自然ないしその法則」によって肉体は「狩り取られ喰われて朽ち果てて行く世界」のことを「カクロヨ」と言ったのです。

「カクロヨ」という言葉を弥生語 独特の見方から見ていくと、なるほどそういう言い方もできるな、と感心してしまうような表現です。

現代でも「隠れる」というのは見える範囲では「いない」という意味ですが、 そこには「どこかにいる」というニュアンスを持っている言葉だと思います。

昔は天皇など、尊いお方などが亡くなることを「お隠れになる」とよく言ったものです。

次は、これも一般にも言いますが祝詞などに出てくる「マガゴト(禍事)」という言葉を考えてみます。

一般に良くないこと事故とか事件など災難のことを言います。

なぜそんなことを「マガゴト」と弥生弥生語では言うのか。

マガゴトは、弥生語では、 

マ    カ    コ      ト

ma          xa     kou              tou です。

禍事(まがごと)を祓う

コトは現在と同じ「事柄のこと」ですので、そのままでよくわかります。

問題はマカ(maxa)です。

これがなぜ「災難」の意味になるのかということだと思いますが、ma(マ) とは「ものの真の姿」という意味です。

それがxa(カ、狩)で、「食われ壊される」ということです。

病気も事故も火事も地震も「壊され損傷を受ける」、だから「マガゴト(禍事)」 というのです。

朽ちる、崩(く)え損(そこ)なう、もう皆この「食い込む」意味のxu(ク、喰)の世界なのです 。

それと、xu(食い込む)の複数形はgu(グ、強く深く食い込む)意味となります。

「グイグイ心に入ってくる」「グッと心にくる」という時のグ(gu)はやはり「心に食い込んでくる様子が強い」という意味になります。
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xi(キ、刻)とxiu(キィ、ヒィ、イィ、飯)という弥生語の意味は?

次にxi(キ、刻)とxiu(キィ、ヒィ、イィ、飯)

いずれも「食事に関する」意味を持っています。

xi(キ、刻)はその漢字からの類推でxizamu(刻む)でそのまま料理用語であるし、

xiu(キィ、飯)もうその漢字からの類推で「食事に関する言葉」だとわかります。

例えば時代小説などに「めし」のことを「飯、いい」と表現しているのを見ることがあります 。

飯田、飯島、飯村などはみな米作を生業(なりわい」とするところからできた苗字だと思います。

田所、田島、田中、田宮、大田、小田、中田、田坂 、田村なども同じだと思います。
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xai(ケ、食)という言葉の意味

神社神道の祝詞などによく表現される言葉に、「御酒・御饌(みき・みけ)種々(くさぐさ)の味物(ためつもの、美味しい食べ物)をささげまつりて」という表現があります。

御酒(みき)にも御饌(みけ)にも、「御」という「尊い」意味の漢字が出てきますが、元々の弥生語の視点から見ると、そういう漢字を当てているの正しくないと思います。

御酒・御饌(みき・みけ)の神饌

上代や弥生語は、あくまでもマ行の世界は「目に見える世界」を意味してますので、「ミケ」は、従ってmixai (食べ物)であり、漢字にすれば「実饌」であり、ミキは「実酒」であるはずでまたそうでなければならないと思います。

漢字で祝詞を始めに作成するようになった奈良時代には、もはや「ミケ」の本来の意味はわからなくなっているため、御の字をあてて<尊い神様に捧げるわけだから尊いお酒・尊い食べ物>と単純に考えた結果ではないかと推測します。

にわかには断定はできませんが、神の食べ物・神の飲み物という意味で「神」を意味する<御>をつけるようになったのかもしれません。

だとすれば、これはこれであり得る表現として必ずしも間違っているとは言えないと思いますが、本来の言葉である弥生語としてのミケ・ミキはやはり 「実酒・実饌」の漢字が妥当だと考え ますがどうでしょうか。

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