どんな学者もどんな古神道家も知らない「天津祝詞の太祝詞その2」

大祓詞後段

前回に引き続き、「大祓詞後段」を記します。

此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて
かくのらば あまつかみはあめのいはとをおしひらきて

天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ
あまのやへぐもをいづのちわきにちわきて きこしめさむ

國つ神は高山の末 短山の末に上り坐して 高山の伊褒理
くにつかみはたかやまのすえ ひきやまのすえにのぼりまして たかやまのいぼり

短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ 此く聞こし食してば
ひきやまのいぼりをかきわけてきこしめさむ かくきこしめしてば

罪と云ふ罪は在らじと 科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く
つみといふつみはあらじと しなどのかぜのあめのやへぐもをふきはなつことのごとく

朝の御霧 夕の御霧を 朝風 夕風の吹き拂ふ事の如く
あしたのみぎり ゆふべのみぎりを あさかぜゆふかぜのふきはらふことのごとく

大津邊に居る大船を 舳解き放ち 艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く
おほつべにをるおほふねを へときはなち ともときはなちて おほうなばらにおしはなつことのごとく

彼方の繁木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く
をちかたのしげきがもとを やきがまのとがまもちて うちはらふことのごとく

遺る罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を
のこるつみはあらじと はらへたまひきよめたまふことを

高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ
たかやまのすえ ひきやまのすえより さくなだりにおちたぎつ

速川の瀬に坐す 瀬織津比売と云ふ神 大海原に持ち出でなむ
はやかはのせにます せおりつひめといふかみ おほうなばらにもちいでなむ

此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百會に坐す
かくもちいでいなば あらしほのしほのやほぢのやしほぢの しほのやほあひにます

速開都比売と云ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば
はやあきつひめといふかみ もちかかのみてむ かくかかのみてば

氣吹戸に坐す氣吹戸主と云ふ神 根國 底國に氣吹き放ちてむ
いぶきどにますいぶきどぬしといふかみ ねのくに そこのくににいぶきはなちてむ

此く氣吹き放ちてば 根國 底國に坐す速佐須良比売と云ふ神
かくいぶきはなちてば ねのくにそこのくににますはやさすらひめといふかみ

持ち佐須良ひ失ひてむ 此く佐須良ひ失ひてば 罪と云ふ罪は在らじと
もちさすらひうしなひてむ かくさすらひうしなひてば つみといふつみはあらじと

祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 國つ神 八百萬神等共に 聞こし食せと白す
はらへたまひきよめたまふことを あまつかみ くにつかみ やほろづのかみたちともに きこしめせとまをす

以上が「大祓詞」の全文です。

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本居宣長(もとおりのりなが)の「大祓詞全体が<天津祝詞の太祝詞>」という説

実は、この大祓詞は、神社神道の真髄を表したものと言ってよく、前段は日本国建国の理念(理想)と後段は、神道の最も中核をなす「祓い」の重要さと祓われ方の比喩をよく表現しています。

そこには、「いかにして祓いがなされていくか」が神話仕立ての中で神秘的に語られています。

神道のエッセンスは「大祓詞」にありますが、では、この大祓詞のエッセンスはなんでしょうか?

それは、言うまでもなく、この中に出てくる「天津(あまつ)祝詞(のりと)の太(ふと)祝詞」でしょう。

だって、その「太(ふと)祝詞」を唱えれば「すべての罪けがれが消える」という夢のような言霊(ことだま)だからです。

それにしても、「すべての罪けがれが消える」なんていう、そんな便利な万能の言霊の祝詞などほんとうにあるのでしょうか?

それで、これを真に受ける人々、特に国学がにわかに盛んになった江戸時代の国学者達によって、「天津(あまつ)祝詞(のりと)の太(ふと)祝詞」が真剣に探究されるようになったのです。

それ以来、いろんな人によって天津(あまつ)祝詞(のりと)の太(ふと)祝詞の探求がはじまったわけですが、何をもって天津祝詞の太祝詞とするかついては、大きくは二説に分かれています

一説は、かの有名な国学者、本居宣長(もとおりのりなが)がその代表格で、彼は「大祓詞後釈」において「天津祝詞の太祝詞事は大祓詞自体のことなのだ」という見解をとっています。

宣長の師である賀茂真淵(かものまぶち)も「祝詞考」のなかで同じ意見を述べています。

明治以後に成立した国家神道の下では、神社を管轄(かんかつ、支配の及ぶ範囲)していたのは内務省です。

本居宣長

その内務省は、天津祝詞の太祝詞事は大祓詞自体のことだとする真淵・宣長説を採用していました。

戦後、神道指令の発令によって国家の庇護(ひご、助け守る)のもとにあった神社神道は解体され、新たに全国の神社を包括(ほうかつ、一つにまとめる)する神社本庁が設立されて今日に至っていますが、本庁では、内務省の見解の延長で「天津祝詞の太祝詞事は大祓詞自体のことだとする」真淵・宣長説を踏襲(とうしゅう、受け継ぐこと)しています。

ちょっと奇妙だと思うのは、神社本庁の指導では、「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」の前段と「かく宣らば」の後段の間に一拍を置く、という点です。

天津祝詞の太祝詞事は「大祓詞」自体なら、なにかそこにあるかのように、一拍を置くということがなぜ必要なのか、ということです。

もし大祓詞全体が天津祝詞の太祝詞事であるなら、そこに一拍をおくことなど無用なはずです。

ついでに、この説をとる他の学者のことも記しておきます。

まず国学院大学の故小野祖教教授の説では、現存する「天津祝詞」の表現のある祝詞四種の詞型を分析した結果として、大祓詞にも秘詞の類のものは大祓詞作成時にはなかったとしています。

ただし、中臣祓詞には、中臣氏家伝の秘詞があったかもしれない、という一種の妥協説を採っています。「神道の基礎知識と基礎問題」

なかなかおもしろい、とわたしは個人的には思います。

何かが気になっている口ぶりだからです。

もう一人、皇学館大学の祝詞学の青木紀元教授もその著「祝詞全評釈」のなかで「天津祝詞の太祝詞として何か神秘的な言葉があったと推測して、呪文や作為された文句をもってそれにあたることが早くから行われているが、これを裏付ける証拠はない」として一蹴(いっしゅう、はねつけること)しておられます。

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宣長説への疑問

わたしの率直な感想を申し上げます。

やはり、この説にはどうしても腑に落ちないところがどうしても残ります。

この「この大祓詞自体が天津祝詞」という宣長説は、たしかに、合理的説明としては一定の整合性があり正しいようにも思えます。

しかし、やはり、問題は、この仮説が正しいかどうか、その基準はその実証性、その効能にあると思います。

だって、それこそ、学問・科学の原則ではないですか。

説だけではあくまでも仮説止まりなのです。

理屈だけでは実証性に欠けます。

つまり、もし「この大祓詞自体が天津祝詞」であるなら、そして、天津祝詞の太祝詞は「罪という罪はなくなり祓い清められる」という効能ないし実証という結果をもたらすものなのであるなら、当然、大祓詞自体を唱えればそういう結果が、何らかの形で、大いに知れ渡り、証明されているはずなのです。

しかし、それほど決定的な話は聞いたことはありません。

自己暗示による「心身の爽快さ」位の効果はあるかもしれません。

それくらいなら、エミール・クーエの自己暗示、就寝前の「これから毎日あらゆる点でいっそうよくなる」のほうがよほど効き目はありそうの思えます。

もし一切の罪けがれおよびそこから招来されるマガゴトが消滅する、といった、夢のような言霊であるのなら、「大祓詞」の威力はとっくの昔に、そういうものとして証明され、知れ渡っているはずです。
これはほんの一例にすぎませんが、憑依霊の除霊にこの大祓詞を唱えることをある神職から教えられてやった人の話を読んだことがありますが、結局、「それほど効果がない」という結論でした。

この説に対するわたしの疑問点も、やはり、そこにあります。
「その木の善し悪しは、やはりその実によってしるべき」ではないでしょうか。

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