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「倭国大乱(わこくたいらん)」とはなんであったか?
「委細 心得」 本文 に 戻り ます。
「もと 中津・弓 前 の 輩(やから) は、 山人(やまと)の 島々 に あり。」
九州の北西には、多くの島々があります。そのうち、大きな五島列島には大君がいて、近隣の島々に国は分かれていたようです。
中国の史書によると、二世紀後半に「倭国大乱」が起こり、長い間、騒乱が収まらないので、女王卑弥呼がこれを鎮めた、という記述がありますが、これはどうやら次のようなことであったようです。
たしかにそのころ主に水利権や土地の争いのために国同士の小競り合いが続いた時期があったであろうことは容易に想像できると思います。
ただし卑弥呼は政治的な意味での女王ではありません。
それは、当時の倭人から、また聞きの中国の史家が勝手につけた称号だと思います。
どうしてそれが分かると言いますと、やはり「ヒミコ」が意味する弥生語からです。
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卑弥呼(ひみこ)という名はどんな意味か
ヒミコ→正しくはピミホないしピミコ(piumiuxou)です。
ピ ミ コ
(piu) (miu) (xou)
(霊) (實) (子)
これを解読すると霊とは、不可視の霊的世界、實とはその影のこの世の物質世界で、xouの子とはそういう存在、という意味です。
どういうことかと言えば、「あの世の意志をこの世に伝える高級な巫女(みこ)」という意味だからです。
卑弥呼とは、後世のモモソヒメや伊勢の物忌みである斎王(さいおう)のようなシャーマンのことです。
個人名ではなく、一般名詞で、霊能者という意味なのです。
それぞれの国の首長達がたとえば水利権でそれぞれが自分の権利を主張する。
現在だって食い違いが発生することは往々にしてあるものですが、当時はなおのことです。
これはもうなかなか収拾がつかないとなると、古代はやはり、神々のお告げに頼るほかはない。
出典:卑弥呼
そこで実績のある高級な霊媒師として「卑弥呼(ひみこ)」が選ばれた、というわけです。
しかも、おそらくただお告げを伝えるだけでなく、理を尽くして説得力を持った優れた巫女であったのでしょう。
どうやら裁判所のようなところでの霊能の力で判決を下すような存在だったのが卑弥呼のようです。
そうでなければ誰もやすやすと従うとは思えません。
「すげえ女だ」、という印象を中国側の役人は本国に伝えたので「女王」という尊称を付けたのかもしれません。
”倭国の大乱”はほどなくして収まった、と倭人伝は伝えています。
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九州五島列島時代の「中津・弓前一族」
でも普段は、木の実 を 採り、 木肌 を すき、 畑 を 耕し、 水 に もぐり て 漁 を なし、 大 霊 の 垂 力(後の鹿島・香取の神) を 祀る」、 について は、 既に 述べ た ところ で 十分 でしょ う。
「大 霊 の 垂 力(タジカラ) を 祀る」 とは、 要するに、 タカミムツ 大 霊 の 垂 力 を、 天 の 力 と 地 の 力 として 二つ に 分け た もの を、 ピカ と プツ の 神 々 と それぞれ 呼び、 これ を 祀っ た という こと です。
後 の 鹿嶋・香取 の 神 です。
九州時代から中津・弓 前 の 族 (やから)が、 この 神 々 を 祀っ て い まし た。
中津・弓 前 の 族 の 重要 な 仕事 は、「 大 霊 の 垂 力 を 祀る」 重要 な 役職 と、「 大君 の 質(ただ)し に 答 うる」 こと でし た。
大王 側近 の 要職 の 地位 に あっ た と いっ て よい でしょ う。
後 に 中津・弓 前 の 一族 は、 中臣 氏 となり ます が、 とりわけ、 中津 の 一族 から 天皇 側近 の 藤原 氏 が 出 たのは、 こうした 古く からの 長い 伝統 が あっ た からなの です。
藤原 氏 の 先祖 は 鹿島 に やってき た 中津 一族 で あり、 この 一族 は、 九州 時代 から の大王 側近 の 祭祀 氏族 です。
鹿島 に やって来 た 後、 やがて、 その 中 の 中津 一族 から 再び 奈良時代 少し 前 たのはから、 中央 の 天皇 側近 として再び 呼び出され、九州 時代 の よう に お 仕え する よう に なっ た という のが 中臣 氏 台頭(たいとう) の ほんとうの真相 です。
これ を 知ら ない 多く の 学者 は、 中臣 氏 は、 物部 氏 (もののべし)や 大伴 氏(おおともし)、 蘇我 氏(そがし) などを 押さえ て にわかに 台頭 し た「 成り 上り」 の 氏族よう に 捉え て い ます。
あと から 中臣 氏 が やってき て、 物部 氏 の 祀る「 鹿島・香取」 を のっとる という 構図 です。
一知半解の学者たちの説です。
かくいう私も、もし弓前文書(ゆまもんじょ)の存在が無かったら、そうした一知半解の学者たちの説の大雑把さに気が付けななかったと思います。
ところで、大王 は しばしば 重大 な 決断 を せまら れ ることがあります。
大王 と いえ ども、 いや、 大王 だ から こそ、 重大 な こと で どう 決断 し たら よい か、 迷う こと が あっ た はず です。
そうした とき、 まずは、 臣下 に はかっ て 考え させ たり 議論 を つくさ せ ます。
それでも 決し かねる 重大 な こと が あっ た とき、 やはり、 神意 を 伺う 方法 が とら れ まし た。
すなわち、 神 の 声 を 聞く、 あるいは 占い によって 神意 を 判断 する。
これ を 主 にやっていた のが 中津・弓 前 一族 の内の 中津 身(なかつみ) という 人物 でし た。
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