海と山への信仰とは何か?―北海の福(ふく)と南山の寿(じゅ)-シリーズー神道を知りたい

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海と山への信仰とは何か?

山の幸・海の幸とよく言いますね。

これは山には山の、海には海の豊かな食べ物があるという意味に使います。

ついでに「食べ」は「賜(たま)へ」から転じた言葉 のようです。

そして、古代の人々は山と海のかなたに神の世界を見ていました

そこが高天原であり常世の国でありました。

陸の中に立派な山があれば、そこをあの世の神を迎える神籬(ひもろぎ、神を迎える所)とか磐境(いわさか、神の降臨する岩)とし、近くに海があると、浜辺に行くか、海に舟を浮かべて「ア」 の世と交わる、二つの型の信仰がありました。

この山型信仰は、中国や朝鮮経由の北方信仰、海辺ないし船による海型 を南方より来た信仰と考える学者もいますが、また何が古い信仰かはしばらく措(お)くとして、基本的にはこの二つに分けることができます。

山国では神の象徴である太陽を山の上に見るし、海辺の人々は海の彼方に不思議な太陽が昇ったり沈んだりするのを見たわけであります。

さて、山も船もまたやしろも神輿(みこし)も「ア」の世の神を 招(お)ぎまつる「ヤ」の形の依り代ですから、この結びつきを「アヤ(禮)」と言いました。

さらに言うならば「禮」という漢字自体が「アヤ」の 内容を見事に表現していることは以前にお話ししたところでありますが、繰り返しますと「示すへん」は「日、月、星の天」(許慎<きょしん>の説)を表し、「豊」は言うまでもなく、地の「ヤ」を表します。

ですので、禮の基本というのは、あるけれども見え見えない「天のア(〇)」とはっきり見える地の「ヤ」との正しい一体関係から出てくるので、古来からの様々な礼法は皆ここより派生しているのです。

もっとも このアとヤとを結びつける媒体もなくてはなりません。

例えば太陽(ア)と地球(ヤ)を結ぶものは月、日本の古典ではこの事を天照大御神とスサノオノ尊(みこと)と月読尊(つきよみのみこと)の「三貴神」の関係として表現しています

もっと小さい宇宙で言えば、赤血球と白血球これを結ぶ血小板というようにです。

これを神典では鏡と剣と勾玉の関係として象徴的に表現しているわけです。

ただし、今見ましたように「三」が基本ではありますが普通はアとヤ、すなわち鏡と剣二つの関係として成立しています。

これを「剣鏡の神璽(けんきょうのしんじ)」と言います。

二つが揃えば「矛玉(ほこたま)は自ずから整う」(古語拾遺<こごしゅい>)からです。

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山の彼方の信仰

それでは、あの世の神の世界を山の彼方に見る山型の方から見てみます。

山を御神体とする神社や巨大な逆鉾とも言えるお社、その他、磐座(いわくら)に神を迎える磐座型も全てこの範疇(はんちゅう)に入れることができるでしょう。

「下つ磐根(いわね)に宮柱太敷立(ふとしきた)て、高天原に千木(ちぎ)高知りて」山形の彼方にあの世の神を仰ぎ見るわけです。

一方、あの世の神の世界を横の水平の関係として捉えるのが、海の彼方の常世(とこよ)の信仰 です。

この時の依り代となるのが同じくヤの形である船というわけです。

諏訪の御柱
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海の彼方の信仰

海の近くの神社は概ねこの船型の信仰となります。大昔、鹿島の神が船3隻を所望したという神示 が記録されていますが、それは鹿島の信仰が海vs 地の型であったことを暗示しています。

この型は神輿(みこし)の渡御(とぎょ)とか鹿島の御船祭(みふねまつり)などのいわゆるお浜降(はまお)りの原点と言えます。

このことは、やはり地のヤを意味する船に対して天を表す〇(丸)という言い方にもよく現れています。

氷川丸 (ひかわまる)とか 日本丸とか船名に丸をつけるのはこういう由来があるからです。

鹿島神宮御船祭

「お舟入り」というのも霊(〇)が入る器(うつわ)が「ヤ」の船だということです。

さらに付け加えれば、御霊(みたま)を入れる器が剣となればこれを「御霊の剣(みたまのつるぎ)」というのです。

鹿島の神の御霊を入れた剣を、「フツの御霊の剣(みたまのつるぎ)」となぜそう言うのか 、これはなかなかに深い表現なんですね。

それ自体で天円地方形(てんえんいほうぎょう)をなしている三種の神器だと言う深い意味が込められているからです。

「南山の壽(じゅ)、北海の福(ふく)」とは?

最後に「南山の壽(じゅ)、北海の福(ふく)」という表現 に触れておきます。

山 (ヤ)は陽であるから方位で南、 この世の幸(さち)を表して、寿命の「壽、じゅ」 が配され、一方海(〇)は 陰として方位は北 、あの世の幸を表して、冥福(めいふく)の「福」をを配しているのです。

冥福とは、あの世の冥界(めいかい)での幸のことです。

よく「冥福をお祈りします」などと言います。

ついでに、幸(さち)とは、弥生語で、satiu(サチ)で、サは、次のチというエネルギーが最大に発生させる前動詞の働きがあり、サチ(幸)とは、「最大のエネルギーである福」の意味となります。

ここでは幸を構成する山と海という深遠な意味が山の幸、海の幸と言ったので、この表現は、本来は食べ物のことを言ったものではないのです。

この意味の幸こそ神幸(じんこう、神がお出ましになる)とか行幸(ぎょうこう、天皇がお出ましになる)とか表現する時の「幸」の意味でもあるのです。

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コメント

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