「ウマシアシカビヒコジ」とは元は宇宙発生時の「火の玉」だった-やまと言葉の源6-かんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語23

「ウマシアシカビヒコジ」とは元は「ウモマチパツカピコポヂ」の「火の玉」でした

さて前回は、物質を生みたいという意志の「カミムスビ」の神が生まれ、次に自然科学で一般に知られているビッグ・バンにあたる「タカミムスビ」が生まれるところまでお話ししました。

次に現れたる古事記の神は「ウマシアシアシカビヒコジ」と言います。

この神の一般に言われている学者の説は、葦(あし)の芽に象徴されるような万物の生命力や成長力、それを神格化した男性神であると言った解釈が普通です。

でも神文では、この神は「ウモマチパツカピコポジ」となっています

しかも古事記とは全く違って、その内容は宇宙の創成の過程で起こった火の玉の状態、これを指しているというのですね。

世界がまるで違います。

古事記では、地球上の出来事ですが、神文では宇宙の始まりの頃の火の玉現象のことだと言っているのです。

宇宙創成の頃

確かに古事記では、その前に国若くとして、国づくりの話にしてしまっているので、これに沿った類推からすれば、植物の葦の芽、とまあ考えるのは当然であります 。

一方、神文の文脈からすれば、「アマノマナカヌチ」と言う混沌状態の中にあったそこから爆発が起こり、とにかく物質が出現し、しかも無限の多様性である「タカミムスビ」、その宇宙創成のプロセスに火の玉状態の「ウモマチパツカピコポジ」が生まれたというわけです。

この「ウモマチ」を「うまし」としたのが古事記です。

「バツカ」を「あしかび」、「ピコポジ」が「ひこじ」になったわけです。

古事記より日本書紀の方が学問的客観性があります

古事記と並んで有名な古典に日本書紀というものがあります。

日本書紀は古事記とは違って、いろんな説を客観的に示して後世に託したところがあります。

そういう意味では、日本書紀の方が独断的ではなく、どの説が正しいかは後世の人が決めてくださいというスタンスの書き方をしています。

それ電話、日本書紀では「後に考えるものがこれを知らん」と述べています。
それでそのウマシアシカビヒコヂの別の説として次のような表現があります。
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日本書紀の一説では「ウマシアシカビヒコヂ」も「クニトコタチノミコト」も「アメノトコタチ」も天空の神です

「天地が初めてわかる時に空(そら)の中に生まれり、これよりてなる神をアメノトコタチ、次にウマシアシカビヒコジ、また、ものあり、浮油のごとくして、空の中に生まれり。これによりてなる神を国常立尊(クニトコタチノミコト)と申す」とあるんですね。

これすごいですね。

だっても宇宙創成の大空の中で生まれた出来事のように伝承しているからです。ちなみにヒコは神文では「ピコ・日凝」で、火の玉のことです。海彦山彦のヒコではないのです。
     ウモマチ       パツカ      ピコポジ
(生まれ燃え増殖する力が)  (爆発し) (数多の火の玉となった)
    (ウマシ)      (アシカビ)    (ヒコジ)

以上が、古事記の「ウマシアシカビヒコヂ」と神文の「ウモマチバツカピコポジ」の対照表です。

さて、先ほど触れた日本書紀の「後勘校者、知之也(後に考える者、これを知らん)」ということに一言触れておきます。

日本書紀の、このいろんな伝えられている諸説をできるだけ示して、後世に残していることです。

どの説が正しいか、にわかには判断できないということに対して、これを後世に託すという考え、これは科学的客観的な日本書紀のすばらしいスタンスだと思います。

それが「後勘校者、知之也(後世、これを考え調べる人があきらかにするだろう」という文言なのです。

今回は、古事記の「ウマシアシカビヒコヂ」は、実は、神文の「ウモマチバツカピコポジ」の「火の玉」であったのに、古事記編纂者が「春に燃え出でる葦の芽」にしてしまったことで、この古事記十七柱の神々をますます解読不能にするのに一役買っている、と私は思います。

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