古事記のウヒヂ二の神からオホトノヂの神までを神文で解読しますー地球の誕生

古事記と神文の対比

神文ではどのようにして地球は出来たかが書かれているのがこの部分なんですね。

それでは、古事記と神文それぞれを記されている順序のままに、まず見て比較してみましょう。

古事記               神文

ウヒヂ二の神           オトノィエ

「泥土の神」          「引力圏が出来る」

イモスヒヂ二の神         ポトノヂ

「ウヒヂ二の対の神」    「結果、灼熱の固まりの形成」

ツノクイの神           ツヌクイ

「防塞守護神」       「乱雑に重なる岩盤」

イモイクヒの神          ピククイ

「防塞守護神の対の神」   「生き物のような食い入る岩盤」

オホトノヂの神          ウピジコ

「門戸防塞守護神」    「軽い物体が浮いてくる」

イモオホトノべの神        スピヂコ

「門戸防塞守護神の対の神」   「重い物体は沈んでいく」

まず、ここのところの古事記の描写が何を言いたいのかお分かりになりますか?

まずわからないと思います。

「泥土の神」が出てきて、次に「防塞守護神」とその対の神、次に「門戸の防塞守護神」とその対の神が出てくるだけです。

一方、神文の方は、ここはいかに地球が出来上がっていったか、の描写ですから、すでに「ウモマチパツカピコポヂ」の火の玉が飛び交う宇宙の中に自ずから「引力」が出来上がる、するとそこで自ずから「引力圏が出来る」、その「結果、灼熱の固まりの形成」によって少しづつ地球ほかの惑星が出来上がっていきます。

その地球の中では「乱雑に重なる岩盤」や「生き物のような食い入る岩盤」がうごめいて、やがて「軽い物体は浮いてくる」し「重い物体は沈んでいく」マグマ状態を通して地球が出来上がっていきます。

こうしてついには山(弥生語で、ヤマツヂュミ)が出来、そして海(弥生語でワタツウミ)が形成されると神文は記しているのです。

マグマ
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地球約46億年前頃の原始地球

現在の学説では、地球は約46億年前頃に原始地球が誕生したとしています。

その頃の地球は低温で均質であったようですが、宇宙から降り続けるものによって次第に高温となっていき、そうした状態でやがて引力がが出来るに従って、地球形成の中で重たい物質は下の方に沈んでいき、軽いものは表面に浮いてくるようになる、それを神文ではスピジコ・ウピヂコと表現しています。

とても分かりよい描写だと思います。

しかし、古事記の注釈では、泥の土の神という風に解釈され、いろんな学者の説をお読みになってみるとわかりますが、大抵は何を言っているのか実にわかりずらい、こじつけのようなあらずのがなの解説が書かれています。

古事記では、イモオオトノべノ神・オオトノヂの神は一般には道祖神のような感じで防災守護神などと訳されています。

神文では、ここのところは、まず地球に大きな垣根、すなわち引力圏が出来たことをオトノィエと言い、その結果、灼熱の固まりが形成されたことをポトノヂといって実に分かりよいのです。

神文では地球の塊がその中で押し合いへし合いして乱雑に重なったような岩盤のことをツヌクィと言い、古事記解釈ではその角状の棒杭のことで防塞守護神などとワケのわからない解釈をしています。
そしてその後に妹オートノべの神、その次のオオトノジの神でこれは両方とも門の神という風に古事記はしていますが、何の為の「門戸防塞守護神」なのかよくわかりません。

しかし神文ではオトノィエです。

これは地球に大きな垣根つまり「引力圏」ができたという意味で、その結果、灼熱の塊が形成されるというわけです。

そうした地球灼熱溶融状態では、重い物質は当然、中に吸い込まれこれがスピジコ、一方軽い物体は逆に自然と表面に浮かんでくる、これがウピジコです。

したがって前者と後者は元来は古事記編纂者が設定しているような陰陽の関係ではないのです。

そうではなくて、これ以後の神代七代までの全ての対(つい)がそうであるように、それは現象の始まりと終わりのことを述べているのです。

恐らくここが理解できないために、古事記編纂者はすべて男神・女神の対神にしてしまったのだと思います。

ですから、神文では、引力圏の形成の意味であるオトノィエそしてポトノヂが一番初めに来ているのです。

古事記冒頭十七柱の神々は、「神文」以外には分かりようがない

以上のようなわけで、古事記の冒頭十七柱の神は、何を言っているのかさっぱり分からない、というのがほんとうの所ではないでしょうか。

だからこそ、かの昭和三〇年の神社本庁での全国神社総代会での事件が問題にされているのです。

その時の一総代代表の方の「古事記冒頭一七柱の神」が何を意味するのか、の質問に対して、神社本庁がいまだになんの返答もなされていない事件のことです。

まあ、これまでの神社神道では、神職を含めてまず返答できないと思います。

信じられないかもしれませんが、国学院大学、皇学館大学はもちろん東大・京大を始めいかなる”権威ある”先生方でさえも、いまだにこれにまともには答えられない、というのが現状だと思います。

古事記に出てくる元々の神の名の多くが、奈良に大和朝廷を樹立した倭人天族のここで上代の弥生語と言っている彼らの言葉でできているからなのです。

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