やまと言葉のナ行の起源
今回も、やまと言葉における起源のうちのナ(n)行の弥生語について考えていきます。
弥生語が現在に受け継がれている言葉を探求していきます。
弥生語においてはナ行は基本的に「秩序」という世界を表す言葉です。
何度も言いますように、母音は ア、オ、ウ、イの順番でその言葉の強さを表します。
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ナ(na)
そういうわけでまず「ナ」 という「秩序立て」として意味を持つ一番強い言葉から始めます。
秩序として最もしっかりしているということを表現する時にナという一音を使います。
その例としては、
古代、な(na)の一言を意味する言葉は菜っ葉の菜(ナ)や魚もナと言いました。
まだ動詞としては「成る」の ナはこれで「秩序立てる」という意味を持っています。
それから土をならす、馬を馴(な)らす、などのナも、秩序立てる、と言う意味合いを持っていることは言うまでもありません。
ノ(nou)
次に、ノ(nou)は「一定の秩序を保ってのびてゆく」という意味です。
名詞としてはノリ(nouri)があげられます。
意味は「一定の秩序にしたがってできている法則」です。
法、則、矩、規、典、憲、倫、宣、徳、理、紀、式、範、教、律、祝、これらの漢字はすべて「のり」と読みます。
一定の秩序に従っているきまり、という意味を持つ漢字ばかりです。
動詞としては「何々と宣(の)る」というような言い方をします。
「秩序だって申し述べる」ということです。
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ヌ(nu)
次はヌ(nu)です
このヌという言葉は、弥生語では、とても面白い、ある意味とても合理的な言葉だと思います。
というのは、ナ行は、基本的に「秩序」を意味する世界の言葉です。
ところが、「動く意味のu」 という母音と結合すると「無秩序」という意味になるのです。
なぜなら、本来、秩序 の意味であるnが動くuと結合して「無秩序」という意味になるからです。
そこで沼(numa)は無秩序の物質体の意味となって、ヌマというわけです。
これに関連した言葉をあげると、ぬるぬる、ぬかる、ぬめり、そして死ぬという言葉も人間が死ぬ時の、この世から見た姿を表現した言葉ではないかと思います。
すなわち、肉体が静まるシとヌという無秩序へ向かうというの意味が結合した言葉だからです。
さて、さらに、神社神道の根幹に関わる言葉として、弥生語からなる「神文(かみふみ)」 から引用したいと思います。
はじめの天地創造のところで、この宇宙に一番初めに現れた現象のことを神文では「イマスパルヌ」と表現しています。
その言葉の意味は、「始まりのこの宇宙の姿というのはまずス(su)と言う真空状態が生まれ、それによって、そこに宇宙における潜在的な根源のエネルギーのパ(pa)が出現して(nu)、すなわち混沌状態になった」と記しています。
無論、このヌ(nu)の混沌状態というのは、全くのデタラメな混沌ではなくて、その中には無限の多様性と可能性を秘めた混沌の意味です。
そういうエネルギーを内蔵した混沌状態のことを言っているわけです。
そして、それに続く言葉が「アマノマナカヌチ」、すなわち記紀(古事記・日本書紀のこと)の中で 「アメノミナカヌシ」と言っている神のことです。
記紀では「天御中主」と表現する漢字を当てています。
しかし、この漢字表記がアメノミナカヌシに関する大きな誤りを引き起こしてしまったのです。
この表現だと、まずはじめに「天の中央にある」という誤解が生じてしまうからです。
そして、そこを支配しているという固定的な意味での「主(ぬし)」という漢字が、更なる誤解を生じさせる表現なのです。
「まなか」は真ん中という意味ではないのです。
ここは「マナ」で切るのが正しい解読なのです。
意味は「真の姿は」ということです。
すなわち、
マ ナ
(ma) (na)
(まことの)(姿)という意味です。
次に「カヌチ」、すなわち「とてつもない混沌のエネルギー」という意味なのです。
そこから先ほど申し上げましたような意味になるわけです。
ですからアマノマナカヌチは宇宙の不動の中心の存在ではなくて、極めて流動的な宇宙の始まりの混沌の状態を表現した言葉だったのです。
だからこそ、アマノマナカヌチはその流動性のある存在であるがゆえに、次にカミムスビとタカミムスビへと発展的に解消していって無くなっていく存在であったのです。
それを固定してとらえるこれまでのほとんどの学者の解釈によって、なぜ二度とアメノミナカヌシが神社道史上に現れて来ないのか、という疑問が生じてきたわけです。
そういうわけで、その後の記紀にも、宮中祭祀にも延喜式にも、アメノミナカヌシがなぜ登場してこないのか、全てといっていい学者が理解できずに、首をひねったままになって今日に至っているのです。
このアメノミナカヌシのヌチの解釈でお分かりのように、それは「主(あるじ)」の意味ではなくて「混沌としたエネルギー」ということがわかってくると、初めて出雲大社の大国主はオオクニヌチであり 大神神社(おおものじんじゃ)の大物主(おおものぬし)も香取神宮の経津主(ふつぬし)もそれぞれ大物ヌチ、経津ヌチの神であった、ということがよくわかるわけです。
出雲大社
こうしてすべて眞正の神道の神々は自然ないし自然物そのもののエネルギーなのだということが分かってくるのです。
次は二(niu)です
ここの用例としては最も分かりやすいのは昔でいう国(くに)です
これは次のように分解することができます
xu niu
(ク) (二)
(食べる為の) (秩序体)
となるのですが、まず X 子音について説明しなければなりません。
X 子音は現在の国語にはない、元々は古代弥生語です。
平安時代の頃には もうこのX子音は h 子音とk子音とに分かれていきました。
例えば、xauxau(母)は「はは、h子音」と「かか、k子音」とに別れていったのです。
X 子音は「喉の奥から発する子音で喉音(こうおん)」といいますが、ではなぜ喉の奥から発する音かと言いますと、食べ物は喉から手が出るほど欲しいものだからです。
そういう意味では、実に原始的ですが、実に合理的な言葉の成り立ちだと言えると思います。
村落共同体
ですから、先ほどの国(クニ)に戻りますと、食べるための共同体、昔の弥生時代の村落共同体、これをさして国と言ったわけです。
今の国家(nation)の意味の国ではなくて、たとえば江戸時代の頃であれば、自分の故郷(ふるさと)のことを「おらが国」と言っていたと思います。
そういう意味の「国」です。
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ネ(nai)
最後のナ行の言葉は、ナ行の n と二重母音のai(エ)とが結合したネ(nai)です。
「秩序の転換」を意味するネ(nai)です。
「大祓詞(おおばらいし)」などの神道用語に「根(ネ)の国・底(ソコ)の国」という有名な表現があります。
海の底に存在するという、人が死んでから行く幽冥界(ゆうめいかい)にある所と想定されています。
魂は根の国・底の国で転換されて次の世界にゆく、という信仰の世界です。
ここで根の国・底の国というのは全て、元々古代弥生語の言葉です。
底の国のソコ は、すでにサ行のところで説明しましたのでここでは割愛します。
根 の 国 底 の 国
(nai) (xuniu) (soko) (xuniu)
ということです。
要するに、その「根の国」で次の世界に行く「転換がはかられる」という意味です。
それから、根っこのネ(nai)は、植物の転換を図るところです。
例えば、バラの根は土の中の養分や水を吸い上げて、バラならバラの木という秩序体に変換するところです。
それから
味噌をねかす
ワインをねかす、などのネも、ある一定の秩序の転換を図るという意味です。
また夜「寝る」という行為も、夜寝ることによって心身ともに転換をはかってリフレッシュするということです。
さらに「練る」と書けば、ある構想の秩序の転換を図るという意味ですね。
このように二重母音のai(エ)が入ると、秩序の転換ないしその転換を図るという意味になるのです。
二重母音、ai(エ)がなぜ「変換・転換」の意味になったのか、と言いますと、それはa(ア)という「動いている世界」がいきなり、i(イ)という「動きをやめる世界」になると、そこに「ぐるぐる回る運動」が起こり、結果、「転換・変換の現象が起こる」、という発想から生まれた言葉であるようです。
おもしろい言葉の成り立ちだと思います。
コメント
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