パ(ハ)行の弥生語は「大自然の意志と力の世界」
現在のハ行 の言葉は、奈良時代以前の我が国ではパ行で発音されていたのです。
つまり、古代弥生語ではp音の音の世界であったということです。
奈良から平安時代にかけて、それまでp音で話されていた言葉の音の世界がh音に発音されるようになりました。
この事は元東大教授の国学者上田万年(かずとし)先生の研究がよく知られています。
このP音の名残は沖縄地方の宮古島(みやこじま)に今も残っています。
宮古島 VS 標準日本語
パ(pa) VS ハ(歯)
パツ(patu)VS ハツ(初)
パル(paru VS ハレ(晴れ)
という具合です。
宮古島
また、二ホン という言い方とニッポンという言い方があるのはそこから来ているのです。
ですからニッポンのp音の入っている方が「古い日本語」だということになります。
NHKでは、現に「ニッポン放送協会」と言っています。
パ行も、すでに述べましたように、その母音の強さの順番から言いますと、a o u i の順番でだんだんP音の持つ意味が弱くなっていきます。
古代p音の意味はといいますと、[大自然の持つ意志と力]を表わしています。
ですので、「ピ(ひ、pi)のピカリ(ひかり、pikari)」のように見える世界についてもP音は使われますが、どちらかというと「見えない世界のエネルギー」を表すことが多いです。
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弥生語「パ(ハ)」
まずpaから.
このpa(パ、ハ)の代表的な言葉はやはり「 はる、paru➡はる(春)」です。
大自然の持つ意志とエネルギーが最も躍動しているという意味です。
春はもともとはパルです。
また根を張るという時の「張る」もその根の勢い(パの力)を増すと言う意味です。
現在でも、元々の弥生語の発音であるピー音そのままに使っている場合もあります。
例えば「あの人はあまりパッとしない」とういう場合の「パは意志と力が強くない」という意味になります。
「今夜はひとつパッといきましょうよ」という時のパッも「勢いよく景気よく」という意味です。
それから「パカッと箱が開いた「」という時のパカッも「勢いある力が最大に変化した」という意味ですから本来弥生が持ってるp音とk音の意味をよく表しています。
博多湾
ついでに言いますと、九州の博多(はかた)というところは今でも大変栄えている所ですが、古代九州西北で最も活躍していた倭人天族の一大拠点でもあったのです。
ですから、この土地の名前の由来は彼らが使っていた言葉を由来としています。
パ カ タ ル
pa ka ta ru
(勢いが) (大きく) (盛んに) (躍動している)
という意味からできている言葉です。
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弥生語「ポ」は二種類あります
次のパ行のpo (ポ)pou(ポ)。
この言葉に関しては2種類のポがあるということです。
前のポ(po)の意味は「分霊(ぶんれい)」の意味です
分霊と書いて「ワケヒ」とも読みますが、要するに「本体の大霊」と同じ質の「分かれた別の霊「」の意味です。
よく知られた神道用語に「直霊(なおひ)」という言葉があります。
「直霊(なおひ)」に関しては私のブログの中の「一霊と四魂という説の大きな誤りを正す」で詳しく説明いたしましたので、興味のある方はそちらの方をご覧になってください。
要するに、従来のほとんどの説明では、直日という総元締めのような魂があって次にクシタマ、サチタマ、ニギタマ、アラタマがあるという従来の解説は大間違いであるということを述べました。
つまり直霊(なおひ)と奇魂(くしたま)とは実は同じもののふたつの表現と言うことです。
クシタマすなわちナオヒだということです。
その違いはと言うと「直霊(なおひ)が意志」で、「奇魂(くしたま)がその働き」を言い、二つで一つのペアの関係にあります。
直霊(なおひ)が四魂を統括している関係ではありません。
それらは分かっていない人が、よく分からないことを分かっているかのように説明している、よくある受け売り説です。
平田篤胤や本田親徳(ちかあつ)らの一説です。
間違っている図式
しかし、それとは別に、この一霊四魂という考えは実はとても大事なメッセージが込められています。
どういうことかと言いますと、特にこの大元の霊 である直霊ないし奇魂とは天地宇宙を創造した「空」と言う大宇宙の根源である ひとつの 存在の分霊(わけひ)だという最重要な真理のメッセージだからです。
人類始まって以来の「人間とは何か」「私はどこから来てどこへ去るのか」「私は誰?私は一体何者か?」という究極の答えがこの中にあるからです。
かつてソクラテスというギリシャの哲学者は「汝自身を知れ」ということを言って人はこの真実を知ってから初めてこの世でどう生きたらいいかが分かる、ということを2000年以上も前に彼は知っていてこれを世に問うたわけですけれども、当時の人々は、何を言っているのかわからず聞く耳を持たず結局ソクラテスをこの世から葬り去りました。
2000年経った今日でもこれを教えてくれる本当の教師はほとんどいない、と言っても過言ではありません。
あたりを見渡しても、「自我の利己」から自由になっている真の教師はまずいないからです。
ソクラテス像
かの日本が誇る大文豪、夏目漱石でさえも「則天去私(そくてんきょし、自我の私を去って天に則(のっと)る)」という大きな志を持ってはいましたが、果たすことなく、胃潰瘍で今の時代から見ると50歳という若さでこの世を去りました。
夏目漱石
ところで、弓前文書(ゆまもんじょ)の神文(かみふみ、今から2300年位前の天児屋根からの弥生語からなる伝言)の中ではこの重大極まりない真実を次のような弥生語で表現しています。
カム アパ ナポ
(kamu) (aupa) (napo)
(かむながらに)(一つの<空という大宇宙>から生まれた) (分霊、わけひ)
それが、「あなたの実相であり真実なのだ」と言っているのです。
これが「あなたの生命の実相」なのです。
だから、仏教の般若心経でも「空であるあなたの本質」を悟れば 、「能除一切苦、あらゆる苦しみを取り除くことができる」 と断言しているのです。
ナポ(napo)とは「分霊、わけひ」、分け御魂としてあなたの内に宿っているというか、しかしこの表現は、実はあまり適切ではないというか、とにかくここの説明はとても難しいです。
あなたは、とにかく、宇宙の中の一点であってしかも全宇宙を自らの内に持っている不可思議な存在です。
そして、あなたは、神の一つの種です。
その種は宇宙に二人といないあなたという花を咲かせるために生まれています。
「世界にたった一つの花」
どこかで聞いた歌ですが、ほんとにそう思います。
その花を咲かせるために何度でも生まれ変わるようです。
それから、話変わって「治る、直る」という言葉があります。
これは今述べた「ナポ」という弥生語からきています。
「ナポル」➡「ナホル」➡「ナオル」と変化したのです
分霊とはあなたの本質で、完全です。
そのままで完全な本来の姿に戻るという意味から「ナポル➡直る」という言葉ができたのです。
この古代弥生語には、もう一つの「ポ、pou」があります。
「炎(ほのお)」「アメノホアカリの命」 と言った時の「火の意味のポ」です。
パ行のプ(pu)、ピ(pi・piu)、ぺ(pai)については次回に譲ります。