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「秘伝の天津祝詞の太祝詞はあった」とする篤胤(あつたね)説
さて、国学者の中には、「秘伝の天津祝詞の太祝詞」は実はあったのではないか、考える人びとは少なからずいたのです。
そりゃそうでしょう。
宣長説を聞いても、なんか腑に落ちず、なんとなくモヤモヤしておられる人は多かったと思います。
第一に、大祓詞自体が天津祝詞の太祝詞だ、と考える宣長説が変だと思えるのは、後段で「かく宣らば」と言っていることです。
この「かく宣らば」の「かく」に、どうしても引っかかるからです。
前段の内容に「天津祝詞の太祝詞」に該当するものは見当たらないからです。
前段は「どのようにしてわが国はできたのか」という建国の次第を神話的に述べた後に、人々が生きていく上には天津罪(あまつつみ、縦の神に対する罪)・国津罪(くにつつみ、横の対人、対物に対する罪)がどうしても出てくるので、これを祓う儀式として天津金木(かなき)や天津菅麻(すがそ)を用意し「天津祝詞の太祝詞」を宣(の)れ、と言っているだけです。
「かく宣らば」の「かく」は、その前段を指すと、普通は考えます。
後段は、その「宣った」結果、どのようにして罪・けがれが祓われていくかを述べているだけだからです。
或いは、そこの「かく」を宣長が言うように、この「大祓詞全体を」と解釈するとしても、
いやそんなはずはない、我が国には、きっと、神代以来の「天津祝詞の太祝詞」にあたるドンピシャの原典の神言ないし言霊(ことだま、言葉にはエネルギーが宿るという考え)があったはずだ、と考える人が後を絶たなかったのです。
その代表格が平田篤胤(ひらたあつたね)という江戸時代の終わりごろの国学者(日本の古典の研究者)でした。
篤胤は、その著「古史伝」の中で、
「皇祖の大神(天照大御神)があたえた<天津祝詞の太祝詞>という尊秘な詞言があったが、これは大変貴重なものなので、延喜式(10世紀にできた神社に関する重要事項がのっている)には載せなかった。おそらく、中臣家(中津・弓前(なかつ・ゆま)一族の子孫)にこれを伝えたものであろう」と述べています。
平田篤胤
すでに、宣長説のところで申しあげましたように、小野祖教教授も「天津祝詞の太祝詞」の原型は、「中臣氏に家伝の秘詞(秘密の言葉)として伝わっていたかもしれない」としています。
宣長没後の門弟でやはり「天津祝詞の太祝詞はあった」と主張した人に伴信友という国学者がいます。
「中臣祓詞要解」の中で、「天津祝詞の太祝詞は、天津祝詞の太祝詞事とは別にあったが、今は伝わっていない」としています。
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ぜひ紹介したい国学院大学の御巫清勇(みかんなぎきよたけ)教授の説
さらに特筆すべき先生として、国学院大学の御巫清勇(みかんなぎきよたけ)教授をご紹介したいと思います。
この先生の著「延喜式祝詞教本」のなかの「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」の解説のところで、
「太祝詞事は、天津祝詞の補足語で、最も神聖なものとして祝詞(のりと)を称(たた)えていう。
古事記に、<天児屋根命、フトノリト、言祝(ことほ)ぎ白す、とあり、高天原で天児屋根(あめのこやね)によって宣(の)られたと信ぜられ、その所伝と伝承する行事をもとに、中臣の氏人(うじびと)によって述作されたもので、・・・・大中臣(おおなかとみ)によって宣られたが、今は伝わらない」
と述べておられます。
そして、大祓の行事の時には、大祓詞は卜部氏(うらべし)が読み、従って、「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」は卜部氏が言い、肝心の「天津祝詞の太祝詞」自体だけは中臣氏が奏(そう)したはずだ、との見解を採っておられます。
その根拠は、この祝詞が、もともと天児屋根伝来の「中臣家家伝のもの」だからだというのです。
ですので、この「もっとも神聖な祓いの神言」を伝承し唱える資格者として、中臣氏は朝廷祭祀の中で独自の地位を占めていたといってよいでしょう。
それはその通りで、中臣氏の前身、中津・弓前一族であった九州時代からの大君に仕える祭祀氏族としての伝統であったからです。
だからこそ、この祝詞は、別名、「中臣祓詞」「中臣祭文(なかとみさいもん)」などと称せられてきたわけです。
これを中臣氏の横暴ととらえる大方の非難は、この間の事情をよくお分かりでない人の言うことで、その非難は当たらない、と思います。
例えば、かつて、国学院大学の故上田賢治(うえだけんじ)教授が「公の為の祭文や祓詞に<中臣祓詞>などと氏族名を冠していうのは僭越(せんえつ、自分の身分を越えて出過ぎた行い)に過ぎる」と非難しておられました。
私は、その発言を、じかに、先生の授業でお聞きしましたが、このようにお考えになる方は多いと思います。
でも、それには、以上のような深いわけがあったわけです。
お知らせ
この度、アマゾンのKindle版電子書籍として、「天津祝詞の太祝詞の発見」ーどんな学者もどんな神道家も知らない天津祝詞の公開ー萩原継男著、という本を出版しました。
ここで「弓前文書(ゆまもんじょ)の神文(かみぶみ)」に秘蔵されていた「原典の<祓い言葉の言語>としての<天津祝詞の太祝詞>」を本邦ではじめて公開することにしました。「天津祝詞の太祝詞の発見」の本ご高覧頂けたら幸いです。