春日大社(かすがたいしゃ)の境内に「手力雄神社」の末社がなぜ三つもあるのか?かんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語9

奈良春日大社の境内に「手力雄神社」の末社が三つもある不思議

さて、タジカラーピカー・プツ の 、 関係 を 示す 配置 が、 実は、有名な 奈良 の 春日大社 の 境内の中にに 残さ れ て い たんですよ。

だって、この関係は一切、どこにもないし、知る限りではどんな学者も言っては居ないからです。

皇学館や国学院の神道専門のどの先生も知らされてはいないと思います。

何しろ、委細心得の文献と春日大社の三社の「手力雄神社」の末社しか証拠がないからです。

これを見つけたときは、いやまったく、驚き小躍(こおど)りして喜んだものです。

まさに「やったー!」の瞬間でした。

この 発見 の きっかけ は、 所用 で 奈良 興福寺 (こうふくじ)での能舞台鑑賞の為にそこを 訪れ 散策していた 際に、 現在 の 橋本 町 の 興福寺 所有 地 に隣接して、 春日大社 の 境外 末社 として 祀ら れ て いる「 手力 雄 神社」 をまず 見つけ た のです。

わたし は 既に タジカラーピカープツ の 関係 を「 委細 心得」 で よく 知っ て い まし た から、 まずそれを裏付ける この 事実 にほんとに 驚き まし た。

まてよ、と する と、 春日大社 の 中 にも 手力 雄 神社 は 祀ら れ て いる のでは ない かと 思い 調べ て みる と、 やはり

出典:興福寺

あっ た 、あった!

それ も、 とても 意味 深い 配置 で 祀ら れ て い まし た。

一つ は 本殿 の 御垣 内 に あり ます

春日大社 の 本殿 は 四つ の 神殿 から 成り立っ て い ます。

第一 神殿、 タケミカツチ、 第二 神殿、 フツヌシ( またの名 を イワイヌシ)、 第三 神殿、 中臣 氏 の 祖 の アメノコヤネ、 第四 神殿、 ヒメ 神 が 祀ら れ て い ます が、 その 御 垣内 の 第一 神殿 側 の 向かっ て 右 に これら の 神殿 を 見守る よう に、 なんと「 手力 雄 神社」 が 祀ら れ て いる の です。

出典:春日大社境内

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鹿島の神と香取の神の親神は手力 雄神です

古来、 この 配置 について は、 謎 として 誰 も 答え られ なかっ た と お 聞き し て い ます。

春日を訪れたその時、自分のことはなにも名乗らず、一参拝者として、第一 神殿 側 の 向かっ て 右 に これら の 神殿 を 見守る よう に「 手力 雄 神社」 が 祀ら れ て いる理由と、何故 同じ 境内に「 手力 雄 神社」が三社 も祀られているのかを居合わせた神職にお尋ねしましたが「まったくわかりません」と答えられたので、「まあそうだろうなぁ」と思ってそれ以上は何も聞きませんでした。

それ は そう でしょ う。 タヂカラ と タケミカツチ、 フツヌシ の 関係 は 全く わかっ て い ない から です。

その 配置 への 答え は、「 手力 雄 神 は 第一 神殿、 第二 神殿 の 親 神 で あっ た から」 なんですなんね。

は まさに「 委細 心得」 が 残す、 タジカラピカープツ の 関係 を もっとも 象徴的 に 暗示 する 配置 だ と 言え ます。 二つ 目 の 手力 雄 神社 は、 春日 の 若宮 の 御 垣内 の 南、 向っ て 右 斜め 後方 に 祀ら れ て い まし た。 一つ の 神社 に 合計 三社 の 同じ 末社 が ある、 という のは そこ に 何 か とても重大 な 意味 が ある はず だ と 考え なく てはならないわけですが、 この 謎 の 関係 は、「 委細 心得」 と 弥生 語 でしか わから ない と 思い ます。

この タケミカツチ の 親 神 が タジカラ で ある という 伝承 は、 実は、 鹿島神宮 の 氏子 区域 で ある 鹿嶋市 津 賀 という 所 にも残っ て い ます。

わたし の 兼務 する 社 で、 タジカラ を 祀る 近 津 神社 です。

当地 では、 大昔 から、 近 津 神社 は 鹿島神宮 の タケミカツチ の 神 の 親 神様 で ある から、 鳥居 は 鹿島神宮 より 大きい もの で なく ては なら ない と し、 実際 に 明治 の 初め まで そうした 巨大 な 一 の 鳥居 が あっ た と いい ます。

現に その 礎石 跡 は 今 も 残っ て い ます。

今 でも、 この 神社 で 正月 に 配ら れる お札 には「 近 津 大神宮」 と 書か れ て い ます。

鹿島 が「 鹿島 大神宮」 なら その 親 神様 も「 近 津 大神宮」 で あっ て よい という 発想 だ と 思い ます が、 この 表現 自体 は いずれ も 明治 以前 の もの だ とお聞きしています。

出典:近津神社

同じく、 タジカラ の 子 で ある 香取 の 場合 は、 その タジカラ の 社 は、 香取神宮 の 摂社(本社に次いで重要なお社)、 大戸 神社(おおとじんじゃ) として 祀ら れ て い ます。

ここ でも、 親子 という 関係 の 伝承 は 消え て い ます。

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