実は古事記冒頭の一七柱の神はいまだにわかっていない
古事記の一番初めに、十七柱の神様が登場します。
アメノミナカヌシから始まってイザナギ・イザナミの神で終わる十七の神様です。
ところがこの神様たちの名前の意味が本当は分かっていない、ということをご存知ですか?
実はそれは本当なんです。
現在の神道や国語の学会やまた神社界でも本当の意味が分かっていない、というのが現状なんです。
そのお話をします。
そうなの?
本当に?
と思われるかもしれませんが本当です。
まず、その証拠となる話を少ししましょう。
昭和三十年のことなんですが、神社本庁で全国神社総代会が開かれ、そこには各神社総代代表他、専門家では北白川伊勢神宮祭主様、神社本庁の鷹司統理、元官幣大社宮司、國學院大學の教職員などそうそうたるメンバーの方々が出席していました。
ある一人の大坂の神社総代代表の方が壇上に立って、ある質問をされました。
それは古事記の初めに出てくるアメノミナカヌシからイザナギ・イザナミまでの十七柱の神々の名前は一体どういう意味を持っているものなのか、という質問でした。
さらに言うのには、これまで本居宣長などいろんな古事記の注釈書を読んでみましたが、どれもはっきりと説明している方はいなかった、というのです。
それで、これらの神様の意味がまるで分からないのでは非常に困る、といった趣旨の質問をされたわけです。
その時、並みいるそうそうたる誰も、この質問には答えませんでした。
というか、本当は答えられなかった、というのが実情だったということでしょう。
その質問された総代の方は翌年も同じ質問をされたそうです。
さすがに、今度は黙殺するというわけにもいかないと考えられたか、時の神社本庁の平田貫一総長は「前の年も同じ質問をされましたが、あなたの所見をまずお聞きしたい、拝聴したいが」とその場を繕い散会したそうです 。
分からないから聞いてるのに、あなたはどう考えますかと、はぐらかされてしまったわけです。
その方はさらに別のところで「神社界は平成14年に至ってもこれに答えてはいない。今後こういう古事記の基本的なことを知らない者が神職であってはならないと思います」と言っておられますが、実はそう簡単には参らないのが現状だ、ということなのです。
当時私もこの話を読んで、同じように分からない神職の一人として、内心非常に恥ずかしい思いでいたことを思い出します。
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古事記冒頭の十七柱の神は弥生語によってのみ解ける
そして後年、古事記に出てくるそういった神様の名前は奈良時代にはすでにわからなくなっていた弥生語であった、ということがわかったのは縁あって「弓前文書」というものに出会え、これを受け継いだ池田秀穂先生から直接伝授していただいたからです。
そういうわけで古事記冒頭の十七柱の神様の名前を、池田先生から伝授された弥生語によって明らかにしていきたいと思います。
まずはこの古事記冒頭の十七柱の神様の名前の解読を通して、弥生語というものが一体どういう言葉なのか、また日本語のこと、特に古語の理解にはいかに弥生語が不可欠か、ということを見ていきたいと思います。
池田秀穂先生著書
そのあと、改めて弥生語の母音やカ行からワ行までの子音を概観していきたいと思います。
古事記冒頭の一番初めに出てくる神様はアメノミナカヌシという名の神様です
皆さんも「天御中主」という漢字から類推すると思いますが、それが間違いのもとと言いますか、この漢字からすれば、この神は宇宙の中心になっている初めに現れた神なので、旧約聖書の”初めに神、天地をつくり給へり“のような神様を想像するかもしれません。
これが間違いの原因なんです。
歴史上、天御中主の正体を知っていた者がこの神を祀らなかった
どういうことかと言いますと、そういう宇宙の中心の神なら、ずーと存在しなければならないのに、このアメノミナカヌシはやがて一切、古事記に登場してこないのです。
つまり、どこかにいってしまったのです。
多くの学者たちはその後、宮中祭祀(きゅうちゅうさいし、最も古い祭が残されています)にも神々を祀った神社を記録した延喜式(えんぎしき)にもアメノミナカヌシが一回もいっさい出てこないその不思議、その謎を述べています。
合点がいかないわけですね。
いろんな類推の仮説を学者たちが上げていますが、お手上げというのが現状と言ってよいと思います。
ところが弥生語で解くと、この謎は一挙に解決するんですね。