陽の形としての矛(ほこ)や剣(つるぎ)
今回は、剣はなぜ祭器(祭の道具)となるのか、について考えてみます。
前回、天と地が黒と白になること、そして祭り仕える側は白い色となることをお話ししました。
神へ物申す時の祝詞でも、「白(もう)す」と言い、その漢字も仕える側の文字であるとわかります。
仕えるという文字も人と士で、士は 矢の意味ですから、言い換えますと、矛とか杭を意味し、天に対する地の陽の形の意味で神に仕えるにふさわしい文字なのです。
さて、鹿島神宮の宝物館には、刀身が約3 メートル にも及ぶ国宝の直刀(ちょくとう、反りが無く真っ直ぐな形の刀、<たち>の字を当てる)が展示されています。
訪れる方々は、一様に、その大きさと1300年の前の製作という長い歳月、これを伝えた信仰の偉大さにまず驚かされます。
そしてこれはどういう方が振り回せたのでしょうか?と問われます。
それが三メートル にも及ぶ大きいものだからです。
その時、いや神道の世界では、剣というのは振り回すものではありません、と答えると、では飾り太刀ですね、と言われるので、そういう軽いものでもないんですよ、と答えるいつもの質疑応答が繰り広げられることになります。
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剣は逆鉾として天とつながるワケ
神道に限らず宗教の世界では、剣はいわゆる殺傷の武器ではありません。
発掘される 古代の 矛や剣は巨大な諸刃のものになっているものがほとんどで、これは武器ではなく、剣が 祭器であり神器であったからです。
そのためには剣は諸刃の形でなければならず、しかも逆さに天に向けて立てまつるものなのです。
いわゆる逆鉾です。
この剣の形こそは、実に鹿島の神が地上の神、大国主命(おおくにぬしのみこと)との国譲りの交渉の時に示された最も象徴的な行為であり、このさかしまの剣こそが神祭りの大元を示す神話的表現なのです。
先ほど触れた鹿島神宮の直刀も、「たち」と言うのも、本来、「立ててまつる」神器の意味をもっているからなのです。
逆鉾の剣
この神祭りの古い例として、古事記の「宇陀(うだという所)の墨坂ノ神に、赤色の楯(たて)・矛(ほこ)をまつり、大阪の神に、墨色の楯・矛をまつり」の件(くだり、文章の一定の部分)はよく引用されるところですが、これも逆鉾を奉(たてまつ)ることに他なりません。
「立てて祀(まつ)ること」、 つまり、立てることが祭りの基本だということです。
「日本語源」(賀茂百樹)の中にも、「たてまつる」とは「立祭る」 が大元の意味で、次に「献上」の意味となると記しています。
だからこそ、お祭りにおいては、幣帛(へいはく、捧げものであると同時に神の依り代)を立てることが一番大事なのであって、その後に、具体的な神饌のお供えという順序になるわけです。
ヨーロッパの古代ゲルマンやセルビアの神祭りにおいても、「先端を上にして立てる剣」すなわち逆鉾 が、神の出現を仰ぐ方法とされたことは、古今東西、同じ剣の意義を伝えています(岩波日本書紀)。
幣帛(みてぐら)
よって、神道における剣というのは、かの北畠親房(きたばたけちかふさ)や肥後和男など多くの学者が説いているような、 剣は「威力」「決断力」などという精神的な徳目の象徴などではありません。
これらは皆、後世につけられた勝手な解釈であり付会(ふかい、こじつけ)の類であります。
剣の秘儀は「立てること」 ことによって地、陽形、下、男性原理の象徴となり、同時に天の神霊降臨の祭器になるというところにあります。
この形が天と地を一つに結ぶ斎元(さいげん、祭りの元)の形となり初めて平国(くにむけ、国を平和にすること)ができるから、これを「平国(くにむけ)の剣」と言ったのです。
これをまた神武不殺(じんむふさつ)とも言います。
剣は立たす(正す)ことによって生き、汚す(横す)ことによって人を殺(あや)める。
本当の刀は鞘に収まっており、抜き身は邪の道であるのです。
剣は立たすことによって神器となり「剣鏡の神璽(けんきょうのしんじ、剣と刀による神のしるし)」となるのです。
ですから、剣を「太刀、たち」というのもそこには深い意味が込められています。
語源的にも、正す、糺(ただ)す、直(ただ)す、匡(ただ)す、はみなこの「立たす」から派生しています。
「立つ」は、発(た)つ、現(た)つ、顕(た)つ、と、この世の顕界の言葉に通じています。
よって、さかしまの剣は、かの諏訪の御柱(おんばしら)、伊勢の心の御柱(しんのみはしら)、その他の御神木や神籬(ひもろぎ)などとその信仰の背景を同じくしています。
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古代の妻入りのお社(やしろ)は逆鉾の形
さらに決定的なことを申し上げましょう。
伊勢の神明造りを見てください。
特に、左を見てください。千木が左右に交差して下の屋根の部分につながっているように見える所があります。
そして、英語のXのような形に対して真ん中にこのXの千木と屋根を支えているような太い柱があります。
この柱は「棟持ち柱(むなもちばしら)」といわれています。
これはまさしく逆鉾の形なのです。
そして、この方向から神職は地べたに薦をしいて、この巨大な逆鉾に降臨した天照大御神を礼拝し祭儀を行ったのが、最も古い形の伊勢の神宮のお祀りであったことを知る人は少ないと思います。
本来、お社とはその中に入る所でななく、神の降臨の為の依り代であった、からです。
逆鉾、逆さの矢の代わりの矢代、矢の代わりのモノ、という意味で「社」を”やしろ”というのです。
ですから、この逆鉾の形を成す方向からお祭りをする神社は古く、この妻入り形式が最も古い神社建築だと思います。
島根の神魂(かもす)神社、出雲大社、大坂の住吉大社、奈良の春日大社などは、今でもこの妻入りの古式の形を残しています。
神魂(かもす)神社