大和言葉の中の弥生語13-ワ行は「水平的な因果関係を表す」です

w(ワ)行の弥生語は、

  

       wa (ワ、渡)    wo (ヲ、覆) wu(ウ、浮)       wi(ヰ、繞<じょう>)        wai(ヱ、辺)の五つがあります

wa (ワ、渡) という一音一義の世界

wa (ワ、渡) という言葉については、現在の「海」を表す古代弥生を例にとります。

それは

     渡   垂  積   浮    現

     ワ   タ  ツ   ウ    ミ

                 wa     ta   tu        wu    mi    という言葉です。

これを分解しますと

ワ(wa) は水平に横に広がる意味の最大形を表します

タ(ta)はその最大の量となることで

ツ(tu)は積み重なって

ウ(wu)浮いている

ミ(mi)物体       

 という意味から、今私たちが見ている海(うみ)という言葉になったのです。

筆者が小さい頃 、近所の映画館で確か新東宝という映画会社の「聞け!わだつみの声」という映画がかかっていました。

当時、 確か小学生の高学年だったと思いますが、その「聞け!わだつみの声」の「わだつみ 」というひらがなで書かれているその文字の意味が全く分からず、何のことかと父に聞いたことがありました。

「それは海のことだ、これは先の太平洋戦争で海で亡くなった兵隊さんの声を聞きなさいという意味だ」ということを教えてもらいました。

「その兵隊さんたちを哀悼した映画だよ」とのことでしたが、なんで海のことを「わだつみ」 と言うのかについては何も教えてくれませんでした。

多分、分からなかったからだろうと思います。

さて Wikipedia によると、ワタは海の古語、ツは「の」を表す上代語の格助詞、 「ミ」は神霊の意味であるので、「ワタツ三」は海の神霊となる、という、いずれの学者の説か分かりませんけれどもそのように解説されています。

しかし、古代弥生の言葉である「ワタツ三」を知る者から言うと、誠に根拠薄弱な、いい加減な説明だということがわかります。

この「ワタツ三」 を 一音一義(ひとつひとつの言葉には意味がある、という古代弥生語の観点からその正しい意味をお伝えしたく思います。

本来は

   ワ  タ ツ  ウ ミ 

         wa    ta  tu      u  mi       という言葉です。

「ワタ」は、水が水平に横に広がってその量が溢れんばかりになっている状態を表し、ツは「の」 という格助詞ではなく物量を表す 「か行」のtu(ツ) ですので、「積み重なる」という意味になるのです。

「ウミ」の「ミ」は、マ行の「目に見える物質の世界」ですので、神霊の意味ではなくて物体のことです。

それが「ウ」とは「浮いている」ということで、全体を通して 「海(ウミ)」だと分かるのです。
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(ヲ、覆)という一音一義の世界

次はwo(ヲ、覆)を解読します。

wo(ヲ、覆)の本来の古代や弥生語では、「罪穢(つみけが)れあるいは過去」のことを表します。

「こころを 覆う」 のがwo(ヲ、覆)の意味です。

これをparapai (祓へ)によって、戸で区切られた「根の国」のwo (ヲ)の世界に祓いやることを

            pa   ra   pai   to   noi   wo 

    パ  ラ  ぺ  ト  ノィ ヲ   といいます。

これが後に「はらえどのおおかみ(祓戸の大神)」という呼び名の神 の原語です。

それを「大祓詞(おおはらいし)」では「祓戸四柱」と四つに分けています。

これは、結局、「海の神」ですが、実は、スサノオの神ことです。

スサノオこそは根の国において罪穢れを浄化して変えてしまう海を支配するお祓いの神です。

一切の罪穢れを背負って、根の国・底の国で罪穢れを清め、変換して大祓いのハタラキをする神です 。

四柱の神の内、最後に登場する速(はや)サスラ比売(ひめ)こそは、スサノオの化身そのものです。

それは、「スサ、サス」という弥生語の言葉によく表現されています。

スサとは「何もかも失くして清める」という意味であり、サスラとは「何もかもなくする作業を躍動させる」という意味ですから、前者は後者をひっくり返しただけで意味は全く同じなのです。

スサノオとは元々は

            ス  サ  ノィ   ヲ

                                   su       sa   noi     wo  であり、

susaは「すっかり無くす」

noiは、「~してしまった」という過去形の意味。

何をすっかりなくしてしまったのか、と言うと最後にあるwo (ヲ)と言う「罪穢れ」のことです。
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祓戸大神はスサノウの代わりに立てられた神。その理由とは?

だからスサノィヲ(スサノオの神)とパラぺトノィヲ(祓戸大神)とは全く同じ神であったという結論にもなるということです。

さあ、大変だ!これは初耳、聞いたことがないぞ、と思われる方は多いとは思いますが、上代弥弥生語で解読すると、どうしてもそのような結論になってしまうのです。

「ノィヲ」 と「トノィヲ」とは全く同じ意味で「スサ」と「パラぺ」も意味としては全く同じだからです。

以上のことは、この言葉の由来である 上代弥生語でしかそのようには解読出来ないと思います。

では、なぜ、本来、スサノィヲの神だけでいいのに、全く同じ働きの神のパラペトノィヲと言うイザナギの神による新しい神話を記紀の上で創作する必要があったのか、という点についてここで少しだけ触れておきます。

一説には、スサノオノ神を祀ることを何らかの理由で大和朝廷が、その昔、遠ざけていたことがある、と言われています。

特に新羅との戦いでスサノオノ神が朝鮮の国に味方して日本が大敗した「白村江(はくすきえ)の戦い」以来の因縁があったのかもしれません。

というのも、スサノウを乱暴者のように描く記紀が編纂されたのだって、この「白村江(はくすきえ)の戦い」以後の事です。

後世には、スサノウの神も八坂神社などで、丁重に祀られるようにはなりましたが、昔はスサノオの神を遠ざけ、その評価を低くしていた時代があります。

そういう流れの中で、本来のスサノオの「祓いの神」 を新たに「祓戸四柱の神」として祀るこのになったのではないかと思います。
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wu(ウ、浮)の一音一義の世界

次は、wu(ウ、浮)ですが、

これはすでにwa(ワ)のところで述べた

   wa     ta  tu     wu  mi 

  ワ  タ  ツ  ウ  ミ

の中のwu(浮く)の用例を、改めてあげておきます。

それは、wata という海が積み重なって「浮く」意味としてのwu (ウ)です。

ここだけを取ってwu    mi (ウミ、海)というわけです。

wi (ヰ、繞<じょう>)      wai(ヱ、辺)は、長くなりましたので、今回は割愛させていただきます。

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