右と左に上位・下位はあるのか?-シリーズ・神道を知りたい1-

右と左、どちらが上位?

神道の祭礼の時に、左と右ではどちらが上位でどちらが下位か、といったことが大昔から祭式の上でくどくどと言われています。

天の位と地の位が地上の横の空間の世界に配当される場合、どうなるのか、皆さんは考えれたことがありますか?

しかし、そもそも天と地の関係に、本来、果たして、上下関係はあるのでしょうか。

たとえば、ここに左右の両手があります。

左手と右手のどっちが上位でどっちが下位という区別は本来ありますか?

上位、下位はないと思います。

働きに違いがあるだけだと思います。

自分の左手は受ける、受動の働きがあり、右手は与える、能動の働きがあるだけです。

そこに上下関係はありません。

同じように、神と人も、ほんらいは親子でありますから、礼儀はあるとしても

平等でありますから、上位、下位はないはずです。

しかし、神社祭式では、厳格な上位の下位があるということは、一見礼儀を重んじているように見えて、じつは「人は神の子」否定の権威主義的宗教のレベルの真の宗教からは遠い隔たりの在るもののように思えます。

その神との遠い隔たりを表現しているのが「~とかしこみかしこみ申す」という文言です。

そもそも天地自然の世界に上下関係はないのです。

たとえば、親子は、大人になったら、そこに尊敬とか敬愛の意味で親を立てはしますが、基本的には平等でしょう。

男女も、憲法でうたっているように、基本的には、ほんとうに平等です。

ただ、長い歴史上の封建の世のしきたりから、現実には平等の関係ではないことはたしかにあります。

しかし、基本的には、親子も男女も平等のはずです。

ほんとうは、天地があり、陰陽があり、左と右があるということで、陰も陽も左も右も、天と地も対等であり平等です。

したがって、神と人とも親子の関係であるならば平等です。

すなわち、

天ー向かって右ー陰(女性原理)

地ー向かって左―陽(男性原理)

だけがある、ということです。
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天は円で地は方形とは何のこと?

天は 円にして鏡で〇で象徴し、地は方形(ほうけい)にして、逆鉾も形の剣(つるぎ)で象徴し象徴します。

難しい言葉で天円地方 形(てんえんちほうぎょう)と言います。

天が円で表されるゆえんは、星の運行が円運動をしているためです。

これは特に道教に出てくる表現なので、この考え方はあるいは道教が起源なのかもしれません。

一般の学者の説の通説では、三種の神器を言い表す天円地方形は、文献的には知る得る限りでは道教がそのルーツということになっていますが、既に何千年も前のいわゆる古代といわれる時よりもさらに古い日本にそのルーツがあるという説もあります。

カタカムナといった本当に古い証拠もあるからです。

今回はこれ以上にはふれませんが、一方、たしかに三、五、七という数字を重視するのは古代中国で、古代神道で重視するのは二、四、八の偶数ではあるのです。

今回の本題に戻ります。

神社の祭礼でも、左右に置かれる三種の神器をご覧になれば分かりますように、向かって右には天円 を示す鏡がかけられ、向かって左 には地方を表す剣がかけられます。

また、例えば、お祝いに使われる「水引(みずひき、お祝いの帯ひも)」がこの天地合一の瑞祥(ずいしょう、めでたい印)の関係を色で左右に表現しているのです。

向かって右が天の色として赤か黒の色を使います。

黒の色を使うのは「赤き極まって黒になる」からです。

水引

赤よりも重い祝い事に黒を使います。

ついでに鹿島神宮に勅使(天皇陛下の使者)が捧げる玉ぐし料の水引は黒白の水引です。

そして左の地の色は白で原則通りです。

さらに面白いことには左右という漢字字体がこの右上位を よく表しています。

右は手で支える形と口からできています。

口は大きな口・穴・空洞、仏教式に言えば、「空」の世界、つまり陰を表しています。

大きく口を開いて発する音、初めに発する音はア なのです。

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向って右の狛犬(こまいぬ)はなぜ口を開けているのか?

狛犬

ですから、狛犬(こまいぬ)や 動物を御神前に奉納する時は、必ず口を開いた狛犬は向かって右におかれます。

仏教ではこれを「阿字本不生、あじほんふしょう」と言います。

阿(あ)の世界は、見える明在の世界を生み出している元の暗在の世界であり、それ自体は「本不生(うまれでることはない)」というわけです。空の世界です。

それは陰の形の女性原理です。

だから「あの世」というのです。

万物は皆この理によって生まれることを神道では、女神、天照大神が神々の最高神 という表現になっているわけです。

あの世の神の代表は女神というわけです。

それで天照大神は女性だという表現をするわけです。

一方、左は手で支える形と工です。

工は、矢印の陽形の形で、「空」の対する「色」の世界で、男性の原理を表すのです。

ですから、神職がもつ笏(しゃく)は向かって左であり、向かって右は指を内に巻き込む女性原理の形を取っています。

また。扇子を持つ女性の作法も向かって右で受け、向かって左で押さえるようにするわけです。

玉串の持ち方、祝詞(のりと、神職が申し述べる言葉を記したもの)、鍵の持ち方、すべてこの理が適用されています。

仏教の不動明王(ふどうみょうおう、大日如来が怒りの相を表した存在)や地蔵菩薩(じぞうぼさつ、大地の広大な慈悲で救済する菩薩)の剣や杖(つえ)などの左右の配置も皆同じ形をとっています。

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