古事記の元本ー弓前文書(ゆまもんじょ)と神文(かみふみ)ってどんな古文書?

 神文は紀元前300年頃の天児屋根からの驚きの伝言

「神文(かみふみ)」は、大体七世紀の初めの頃、弓前値名(ゆまあてな)という香取神宮の神職によって文字化された古文書です。

当時は、鹿島神宮には中津(なかつ)という神職が、香取には弓前(ゆま)という神職がいたのですが、彼らの共通の先祖アメノコヤネという神から託宣された神文という神言葉で書かれた文書を大切に守り伝えていました。

中津や弓前という姓は彼らが中臣の姓を与えられる以前の姓です。

以上のことは、神文の解説文とでも言うべき主に弓前値名が書いた「委細心得(いさいこころえ)」に記されています。

約二千三百年前頃に、アメノコヤネから受けた神言葉を口伝えの口承で弓前値名(ゆまあてな)の時代の七世紀の初頭まで受け継いできたのですが、当時の日本語の文字化の成立という時を得てその値名が文字化したのです。

この神文の大きな価値は、八世紀に成立する古事記や日本書紀という古典の原書だというところにあります。

ことに古事記の冒頭に出てくる天之御中主神からイザナキ・イザナミの神までの十七柱の神々や、天照大御神や大国主神の元の名であるオオヒルメムチやオオナムチという言葉は、実はこの神文の中にあります。

だからこそ、神社神道は、基本的には「中臣神道」だと言われるのです。

つまり、現在の神社神道の、少なくともその核となる部分は、中臣氏の祖、中津、弓前という後に鹿島香取の神職になる一族が伝えた口伝に基づいているからです。

「大祓(おおはらえことば)詞」を別名「中臣(なかとみ)の祓(はらえ)」などというのもそういう経緯から来ているのです。

しかしそういう事情を知らないので、中臣氏の専横によってそんな名前が付けられていると思われているようです。
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稗田阿礼(ひえだのあれ)の正体

私は、古事記の語り部といわれる稗田阿礼(ひえだのあれ)といわれる正体は、実際には、この弓前値名と記紀編纂の当時、これらに大きく関わったといわれる藤原不比等であったと思っています。

このことについてここで詳しく論ずることは差し控えますが、不比等も値名も、いずれも鹿島・香取の中津・弓前の出身の後裔です。

言伝えによりますっと、「神文」は、約七世紀の初頭の頃、弓前値名(ゆまあてな)という香取神宮の神職によって文字化された古文書です。

その時文字化されたということは、それまでは口伝えで伝わっていたということになります。

これを口承(こうしょう)といいます。

約二千三百年前ごろにアメノコヤネから受けた神言葉を、口伝えで弓前値名の時代の七世紀の初頭まで受け継いできたわけです。

ちょうどそのころの渡来人による日本語の文字化の成立という好機を得て、香取の値名(あてな)という人物が文字化したわけです。

当時は、鹿島神宮には中津(なかつ)という神職が、香取には前(ゆま)という神職がいて、彼らの共通の先祖のアメノコヤネという神から、約紀元前三百年頃、下されたものが神文という神言葉でした。

もっとも、神文がアメノコヤネから下された紀元前三百年頃は、九州五島列島や博多を拠点として大君を中心に活躍していた倭人天族の時代です。

出雲も伊勢も鹿島・香取もまだそのお社(やしろ)はできていませんので、この頃の中津・弓前一族は、九州にあって「大君(後の天皇、詳しく言いますと景行天皇)の質(ただ)しに答える
をもって家業とする」大君側近の祭祀一族でした。

いざというときには、大君は、この中津・弓前一族のもつ霊能力、ことに鹿の骨や亀甲による占断を頼みとしていたのです。

それが彼らが大君側近である理由です。

中津や弓前という姓は彼らが中臣姓を与えられる以前の姓です。

以上のことは、神文の解説文とでも言うべき、主に弓前値名が書いた「委細心得(いさいこころえ)」に記されています。

そのアメノコヤネから受けた「神文」という託宣はここで弥生語とよんでいる古代語で書かれています。

今の言葉のルーツの一つの原語ですが、当時の言葉は、一音に一つの意味がある一音一義のことばです。

その弥生語のもともとの音は、時とともに少しずつ変化しながらも現代の言葉に生きています。

それも、後で、例あげて少しずつ説明していきます。

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弓前値名(ゆまあてな)によって弓前文書は口伝えから文字化された

とにかく、その神言葉は口伝えで弓前値名(ゆまあてな)の生きていた約七世紀の飛鳥時代(あすかじだい)まで伝えていたのです。

その口伝えを弓前値名(ゆまあてな)が文字として書き残したのです。

この神文のものすごい価値は、なんといっても、八世紀に成立する古事記や日本書紀という日本の古典の殊に神々の神名や重要な神道用語の原書だというところにあります。

そんなことは、にわかには信じられないと思うかもしれませんが、ほんとうなんです。

そのことはやがてわかります。

しかしこれがもし本当であったなら、それこそ世紀の大発見と言っても言い過ぎではないかもしれません。

大げさではなく、ほんとうにそうだ!、ということが、やがて、きっとわかると思います。

ことに古事記の冒頭に出てくる天之御中主神(アメノミナカヌシ)からイザナキ・イザナミの神までの十七柱の神々や天照大御神や大国主神の元の名であるオオヒルメムチやオオナムチといった言葉が、実はこの神文のなかにあり、古事記冒頭十七柱の神々はこの神文から採って構成されたのだ、ということがわかってきっと驚かれると思います。

ついでに、ここで宣伝させていただきます。

「古事記、祓い言葉の謎を解く」―伊勢・鹿島・香取・春日の起源ー(萩原継男著、私の本名、¥1800)というタイトルの本が叢文社(そうぶんしゃ)という出版社から2016年3月8日に出版されていますので、興味がありましたら、是非ご笑覧下さい。

「古事記、祓い言葉の謎を解く」

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