大和言葉の中の弥生語9-パ行のプ、ピ、ぺは「大自然の意志と力の世界」です

やまと言葉の中の弥生語9-パ行のプ、ピ、ぺは「大自然の意志と力の世界」なのです。

「プ(pu)」という弥生語

では早速、はじめは「プ(pu)」から始めます。

この「プ(pu)」の説明にあたっては、 一般にひふみ、と言われている言葉の説明からして行った方が分かり良いと思いますので、ここで「ひふみの神言」 のことをお話ししてみたいと思います

「ひふみの神言」とは、すなわち本来は「 ピプミ」です。

ハ行は、平安時代頃まではパ行ですから。

さて、従来の言い伝えでは、

ヒ  フ  ミ  ヨ  イツ ム  ナナ ヤ  コ  ト モマ  チ ヨロズ

(一)(二)(三)(四)(五)(六)(七)(八)(九)(十)(百)(千)(万)

というふうにもともとの言葉を数字に当てはめて「一二三(ひふみ)の神言」としています。

ここに何か神秘的な言霊の力があるような説明をして人々に説いている宗教団体がよく見受けられますが、これではなぜ「神言」なのかよく分からない説明です。

ただ数がどんどん増えていく「増殖」の有難さを言っている言葉でしかありません。

こんなものが繁栄とか弥栄(いやさか)の言霊として出回っていますが、どうしてこれが神言なのかの解説は曖昧模糊(あいまいもこ)としています。

言霊の力と言うことを強調しているだけで、とにかくしっかりした根拠は見当たりません。

では次に、本来の言葉である弥生語からの「一二三の神言」の解説をします。
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「神文(かみふみ)」の中の「ピプミ」

「神文(かみふみ)」の中に出てくる大元の言葉から引用すると次のようになります。

これも、本来は「古代弥生語」なのです。

ピ プ ミ ヨ ツ ム ナ ヤ コ ト タ ヱ モ マ チ ヨ ジュ ミ ぺ

(piu)(pu)(miu)(you)(tu)(mu)(na)(yau)(koto)(ta)(yai)(mou)

(mau)(tiu)(you)(jiu)(miu)(pai)です。

以上が、本来の正しい「ヒフミ、元々はピプミの言葉」です。

どうしてそう言えるのかをお話しします。

まずピ(piu)は意志です。

始まりとしての「一」(ピ、ヒ)です

pとiuで、目に見えないもの(p)のはじまり(iu)で「意志」の意味になるのです。

「ピ、ヒ」ふた通りに書いたのは、 既に何度か申し上げていますように、p 音は平安時代の頃にはすでにh音になっているので一応二通り書いてありますけれども、これからは本来の音であるp音で「ピ」 と記します。

はじまりのピ(一)。

次の「二」はプ(pu )で、「目に見えない意志が動き出す」という意味です。

pとuでその目に見えないものが動き(u)出す という意味です。

一方で、このpiu(ピ、一)とpu (プ、二)は何を表すかと申しますと、人間の場合ですと肉体の命が「生まれるという意志」を表しているのがpiu(ピ)で、pu(プ)は動き出し震( ふる)う という意味で「みごもる、はらむ」という意味になるのです

実は、この「piu,pu」がp音なのにはちゃんとした理由があるのです。

原則として、「目に見えない動き」がp音の世界だと以前に説明しましたが、この妊娠の「はらむ」状態はおなかの中なので見えません。

「目に見えない」

だからp音なのです。

p音は「日、ピ、pi,ヒ)」のように「見える世界」にも使われますが、「目に見えない」世界を表すのを原則とします。

身体(miu、ミ)の中にみごもってm音になるのです。

だから妊娠のことを「みごもる」と言うのです

これも一音一義の「miukoumouru(ミコモル、身体が固まりゆく)」という意味の弥生語です。

ピ、プの次はミ(miu)です。

目に見える赤子となったからです。
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マ行は目に見える世界を表す言葉

マ行は目に見える世界を表す言葉だからです。
目に見えない人の子は piu,puで表し赤子としてこの物質世界に生まれた身 をマ行で表わす弥生語の原則通りの言葉の使い方をしているのです。

繰り返しますと、見えない段階を piu.puと P 音で表し、見える世界をmiu(身)とマ行で表すのです。

そして次のyou(ヨ)は、「それによって」の意味です。

次のtu(ツ)もmu(ム)も年月が積もり積もって成長し、の意味です。

次のna(ナ)は秩序体の意味で、piuna (ピナ、ヒナ)で雛鳥(ひなどり)のように一定の形を成して成長している、人間で言えば少年時代を表しています。

さらにヤ(yau),コ(kou)でますます身長も伸びていって固まっていき、の意味になります。

次のト(tou)で、 一人前の青年となってpiu to(ピト、ヒト)となり結婚する段階の大人となるのです。

次のタ(ta)とヱ(yai)は精力旺盛な大人の時代で年齢で言えば四十歳ぐらいまでのバリバリの時代と言えるかもしれません。

しかし人間で言えば体力的には少しずつではありますが、mou(モ)ma(マ) tiu(チ)you(ヨ)jiu(ズ)miu(ミ)でエネルギー減退へと推移する中高年の大人へと進み、肉体生命の終わりに向かってのエントロピーの衰えの法則へと向かう定めです。
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「ヒフミの神言」の誤伝はどうして起こったか?

ところが従来の大型の古神道と称する人たちの考えはここで大きな過ちを犯しています。

すなわち、本来の「ひふみの言葉」の意味を反対の意味に勝手に解釈しそれを一般に流布させてしまったのです。

どういう事かと言いますと、「ひふみよいむなやこと」の後に続く文言がわかっていなかったということです。

「ひふみよいむなやこと」まではいいのですが、「モ マ チ ヨ ジュ ミ」の意味が全く理解されてていず、その後の言葉を「百千萬(もまちよろず)」と勝手に解釈し、書き換えてしまったからです。

それもこれも、本来の弥生語の元々の一音一義がまるで理解されていなかった、という一言につきます。

そこから生じた大間違いです。

物部氏(もののべし)に誤って伝わったものを、石上神宮(いそのかみじんぐう)の神のお告げであるかのように、「石上神伝(いそのかみしんでん)」と称し、世に広めたというわけです。

大きな誤解、大きな過ちでした。

万死に値するような大きな過ちといってもいいかもし

石上神宮

れません。

これも、ひとえに本来の古代弥生語の原語を知らなかったことに由来していると思います。

この「ヒフミ」とその正しい解釈は本来の弥生語から解読しますと、おおよそ次のようになるかと思います。

「ヒフミの言葉」とは、ほんとうは、この物質世界という現象宇宙における諸行無常の輪廻の法則を述べたものです。

「諸行無常」という仏教用語が出たついでに、このほんとうの「ヒフミの言葉」を、仏教式にこれを解説しますと、「色(しき)という現象宇宙の世界はこのような法則で動く」ということを言ったもので、「空(くう、実は「色の創造主」としての真の神)という実在の世界」を述べたものではありません。

空=(色の世界の創造主)の神=実在という図式は、にわかには理解しがたい提示かとはおもいますが、このことはいつか本格的にお話しいたしたく存じます。

最後に、「ぺ、pai」について、一言触れておきます。

「祓戸神(ハラへドノカミ)」というお祓いの神様がいます。

その中の「へ」が「ぺ、pai」なのです、実は。

パラぺトノィヲが、元々の弥生語です。

「トノィヲ」とは、「戸で区切られた過去の罪穢れの世界」という意味です。

「パラ」は、「パという強力なエネルギーの躍動」で「ぺ、pai」は「見えない世界で変換して無くしてしまう」という意味です。

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