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大和朝廷成立以前
さてここで 弥生日本語とは何か ということについて改めて考えてみましょう。
時は 弥生時代が始まったとされる約2500年前 九州の五島列島や壱岐・対馬(いき・つしま)そして今の博多などの九州北西地方 海外では 中国の東南 あるいは南朝鮮などの沿岸地 などを拠点として船による海上交易で栄えていた倭人天族(わじんあまぞく)という人たちがいました。
この倭人という言い方は 中国の漢や魏(ぎ)の国から そう呼ばれていたところから来ています。
この表現がある有名な古文書が 3世紀末にできた中国の「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」という歴史書です。
「倭人(わじん)は帯方(今のソウルあたり)の東南 大海の中にあり 山島によりて国邑(こくゆう 共同体)をつくる。もと百余国 漢の時 朝見する者あり 今 使訳通ずるところ(使者が行けるところ)は 30ヵ国ある」とあります。
また「漢書」の中にも「楽浪(今の平壌<ピョンヤン>あたり」の 海中に倭人あり百余国に分かれて相争う」ともあります。
これが紀元前一世紀の頃の 日本についての中国側の記録なんです。
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倭人天族の活躍
その倭人のグループというのは 縄文時代が終わる2500年前あたりから 中国の東南地方や南朝鮮などから 主に稲もみや鉄製の農器具などを仕込んで 日本の内地にいる土着の縄文人に貸し与えて その見返りに大きな比率で収穫を受け取る そんなシステムを作って栄えていたのです。
日本内陸からは 逆に 鉱石や勾玉の原料などの商品を中国や朝鮮へ持っていって商(あきな)うわけです。
そうした海を渡っての商取引によって 倭人天族は九州西北を拠点に海洋物流商事一大組織を形成して大いに栄えていたのです。
むろん そのための海兵隊のような強力な軍隊も持ち その軍隊は「斎重城(さえき)」と呼ばれ恐れられていました。
「魏志倭人伝」の中の記述に 博多にあって恐れられていた「1大率(いちだいそつ)」という存在は昔から謎とされていましたが おそらくこの斎重城の軍団のことを指していると思います。
倭人 天族が 五島列島や博多を拠点に強力な海上組織を確立させていったのは 中国の魏の国が建国される AD 220年より少し前あたりの130年頃であろうと推定されます。
ここで 前もってお断りしておきたいことがあります。
それは ここで述べる日本古代史はあくまで天族が伝えた「弓前文書」の中の歴史書である「委細心得(いさいこころえ)」に記述された古代史です。
あり得る一つの仮説と考えています。
もっとも この委細心得の語る歴史観は 現在の歴史学会の見解とそれほどかけ離れているわけではありません。
ただし古事記や日本書紀などの年代とは 大いに異なっていることはたしかです。
従って記紀にはある政治的意図をもって構築され編纂されていたということが垣間見えてきます。
まあその年代の正確さについては後世にお任せすることにいたしましょう。
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大和朝廷成立時の日本
さて委細心得によれば 4世紀半ば頃より少し過ぎたあたりに 即ち後世に名付けられた天皇の名前で申しますと 景行(けいこう)天皇と崇神(すじん)天皇が それぞれ九州の五島列島と奈良の三輪地方とに新しい国を建てて 前者を「天の大君」 後者を「国の大君」と呼んでいたと記しています。
要するに 委細心得には 従来の記紀の伝承とは全く異なり 初めの奈良の大和朝廷成立時には九州と奈良には二つの同じ皇統の王朝が同時に存在していたという仮説に立っているということです。
ともあれ 本書は 彼ら倭人は はじめは稲作やがては金属器という当時の文明の最先端の伝播者(でんぱしゃ)として 縄文文化の日本人に革命的な影響力を与えながら やがて四世紀半ば頃になって 九州から大和地方へ東征し その直後 当時の日本を徐々に掌握(しょうあく)し支配するようになったとする仮説に立っております。
稲作とともに鉄が当時の生活上の画期的な利器であったことは言うまでもありません。
土を耕すのにこと ことに未開の土地の開拓には木や石よりも鉄の道具の方がはるかに優れていることは明らかです。
田園を耕すといっても まずは土木工事です。
さて 話変わって 狩猟を中心としていた縄文時代を終わらせることになった稲作と鉄の輸入 これを朝鮮や中国さらには南方からも仕入れて一大海上物流組織を形成していった天族の彼らが使っていた言葉 それをここでは「弥生日本語」と言っています。
ここで その言葉がその頃の日本全体の中で占める割合は いったいどれくらいであろうか という問題を考えてみます。
しかしこれを厳密に 正確に算出することは 実は大変難しいと思います。
これから述べる算定はあくまで大まかなもので 現存している日本語全体からのおおよその推測にすぎず いわゆる縄文人と弥生時代をもたらした人々 そして韓国や中国からの渡来人のそれぞれの渡来の歴史を考慮に入れての大雑把な統計でしかありません。
と言いますのも 当時の天族は その田園耕作の指導とその労働力の必要から 特に韓国や中国から大量の人々を招き入れていました。
それで 結論から言えば 日本語のほとんどは基本的には 旧石器時代以前の遠い遥かな昔から日本の内陸に土着して生活していた縄文人が使っていた縄文語といって良いと思います 。
それほど縄文語の占める割合は圧倒的に多いと思います
とすれば 日本語は基本的には縄文語である と言って差し支えないでしょう。
最も一口に縄文語とは言っても アイヌとか九州の隼人族(はやとぞく)や熊襲族(くまそぞく) さらには大和の国や常陸国(ひたちのくに)の国栖(くず)と言われる人種など早くから日本に到着していた人々の言葉があり 多様な縄文語があったと思われます。
おそらく これらの縄文の言葉がおよそ日本語全体の8割から9割近くも占めているかもしれません。
とすると弥生語は それほど重要な言葉ではないのではないか と思われるかもしれません
ところがです。
皆さんが日本の神々としてご存知の古事記や日本書紀の中に出てくるほとんどの神々の言葉 例えばスサノオとかオオヒルメムチとかオオナムチというような言葉 あるいはミソギとかハライとか罪穢(けが)れとかウブスナとか その他多くの重要な祝詞の言葉や万葉集などの古文に出てくる素性不明な言葉などは その多くが 実は ここで言う弥生語に属しているとしたらばどうでしょうか。
実は 日本の古来からの神道や 文学などの中に ここで言うその弥生語がふんだんに隠れているのです。
お知らせ
約六年前 拙著「古事記 祓い言葉の謎を解く」を出しましたがあちこち不備があり気になっていた所も多々ありましたので この度 あたらしい知見も加え電子書籍化してその改訂版を出すことにしました。
「伊勢・鹿島・香取・春日の起源」-天津祝詞の太祝詞の奥義ー
という本です
六~七巻続ける予定です。今回はその「第一巻」です。。ご高覧頂けたら幸いです。萩原
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