ラ行は「動作を表す」言葉です
弥生語におけるラ行の言葉は、ra(ラ、躍)、ro(ロ、移)、ru(ル、活)、ri(リ、座)、rai (レ、舞)の五つの「動き」の形があります。
ここにあてられた漢字は、実は弓前値名(ゆまあてな) という六世紀の香取神宮の神職 によるものです。
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ra(ラ、躍)という一音一義の世界
まず、ra(ラ、躍)から説明します。
ra(ラ、躍)は「最大の動作」を表す言葉です。
母音 aと結びついたr行は、その動きが最大であることを表しますので「躍動」の意味になります。
何度か引用しました、so ra(ソラ) とは、
soという何も無いところに、昼は太陽がra(躍動)し、 夜はいろんな星と月とが躍動するところから、sora(空、ソラ)というのです。
一方、so koと言えば、「底」の意味ですが 、なぜそうなるかといえば海の底のように何もないところでいちばんko (固定している)ところだから底(soko、そこ)というわけです。
ra(ラ)の神道関係の言葉といえばやはり「祓(はら)へ」の中のra(ラ)でしょうか。
本来の大和言葉の中の弥生語では、「parapai(パラぺ)」が原語で、古代p音は平安時代頃までにはその発音はh音に 変化していますから、後世の言い方では、「hara hai(祓へ)」となります。
その原語の意味は
pa ra pai
(最大の宇宙の精気が) (躍動して) (根の国へ吹き放つ)
という意味なのです。
ra(ラ)の例をもう一つあげておきましょう。
星がきらきら光るという時のキラキラは
キ ラ キ ラ
(ki) (ra )
(際立って) (躍動している)
という意味になることはもうすでにお分かりだと思います。
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ro(ロ、移)という一音一義の世界
次はro(ロ、移)。
ro(ロ、移)は、「進行の動作」を表す言葉です。
ここでは惟神の道(ながらのみち)という「一言で神道を表す古代からの表現」を取り上げてみます。
「神ながらの道」は本来の弥生語では、
カ ム ロ ミ チ
(ka)(mu) (ro)(mi) (ti)
(威)(醸) (移)(現) (育)です。
まず, カム(kamu、威醸) は後の世の神様のことです。
元々、神のことを古代、これは縄文人のアイヌでも「カムイ」といいましたが、倭人天族の弥生人においても カムでした。
神をカミと発音するようになったのは後の奈良時代のことです。
この古い神をカムといったことは、古い文献とされる書物に「カムロキ・カムロミ」とか「カムナガラの道「」とか言った表現に残されています。
ここで「ロ」は、進行形を表すところから「ながら」と言うようになったことが分かります。
アイヌ人
ru(ル、活)という一音一義の世界
次のru(ル、活)は、言うまでもなく「動作の現在形」を表す一般動詞です。
ここではタカマパルという後世に古事記や日本書紀において「高天原」という言葉の語源となった弥生語を取り上げます。
タ カ マ パ ル
(ta) (ka) (ma) (pa) (ru)
(垂) (威) (真) (晴) (活)
taは「物量の最大形」を表し、kaは物事の「変化の最大形」をあらわします。
高いと言う後の日本語も「タカ」は物量、その規模が最大、という意味から来ていて、意訳すると「威大な力のエネルギー」ということになります。
次がmaparu で、マパル➡マハル ➡マワル(廻る、まわる)と変化しますが、この言葉の元の「maparu」には、実は深い世界観が込められています。
マ行は「目に見える現れている世界」、般若心経でいう「色の世界」を表し、パ行はその色の元の世界である「あるけれども見えない空という実在の世界」を表し、色は空に帰る、すなわち「色即是空(しきそくぜくう)」そして再び縁(えん)を得て、「空の世界」から「色という目に見える世界」へと生まれくるという二重構造の「色空の世界」が動くことを、弥生語でマパル、すなわちこのようにして世界は廻っているのだ、ということを、一言で「タカマパル」と古代弥生語では言ったのです。
それが後の世の古事記・日本書紀になると、ある一定の空間の「高天原」 という神々の集う天空彼方の世界と限定された世界に矮小化(わいしょうか、狭い世界にすること)されてしまったのです。
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(リ、座)という「動作の完了形」の一音一義の世界
次はri(リ、座)という「動作の完了形」を表す助動詞に移ります。
基本的には「動作が既に終わってその結果が継続している」ことを表します。
このri(リ、座)に「座」という「 言い得て妙(みょう)」の漢字を当てた弓前値名 (ゆまあてな)という人物には本当に頭が下がります。
話変わって、記紀の神様に「天火明命(あめのほあかりのみこと)」という神が登場します。
日本書紀の一書や先代旧事本義では、二二ギの尊(みこと)の兄、ニギハヤヒとかにされているが、ほんとうは、その漢字名から分かるように、太陽神の最終段階の名前なのです。
天の pou au ka ri
天の (火) (会) (威) (座)
分解すると、
天の (明かりが)(出会う)(大きな変化)(完了形) です。
天火明(あめのほあかり)は、太陽の明かりがついに最大となった太陽神形成の最終段階の神として描かれています。
「弓前文書(ゆまもんじょ)」の中の神々の名前を記した「神文(かみふみ)」に載っています。
なお、ri(リ、座)は、古語の世界では、「けり」「たり」など、「動作の完了を表す助動詞」としてもよく知られています。