本来はカミムスビがあってタカミムスビが生まれた
前回は天之御中主のお話をいたしました、
神文によれば、アメノミナカヌシというのは、固定的な永遠の神ではないということなんです。
そして古事記では、次にタカミムスビノ神、次にカミムスビの神と出てきますけれどもこれも反対です。
つまり神文では、カミムスビが先で、タカミムスビが後に出てくるのです。
それはカミムスビとタカミムスビの意味が弥生語で解けばよく分かりますが、奈良時代に編纂された古事記の時代では、その正確な意味を知っていた人はおそらくほとんどいなくなっていたのではないか、と思います。
そして、当時、カミムスビとタカミムスビをどうとらえたらいいかと考えあぐねた末にこれを陰陽の神としたんですね
そうするとタカミムスビが先に来てその後にカミムスビが来なくてはなりません。
なぜなら陰陽思想となれば、陽優先の考えですから、タカミムスビが前に来て、その次にカミムスビが来るというわけです。
古事記編纂者はそう考えた。
では、神文は、カミムスビとタカミムスビをどのような意味だと捉えているか?
まずカミムスビ、弥生語では、カミムスビとは「霊妙なあるいは驚きの物質を作る意志」という意味なんですね。
つまり宇宙の意志の中に「混沌としたアマノマナカヌチ」の長い長い時の中で、現象する物質を生み出したいなあ、という意志が生まれたというわけです。
それがカミムスビなんです
ではタカミムスビとはどういう意味か、と言いますと、カミムスビにたった一文字のタという字が加わっただけなんです。
それだけの違い、それは一体何を意味するのか?
それは、驚きの物質を生み出さんとする意志が生まれ、物質が現れ、森羅万象となって多種多様な現象界が生まれた、という意味なんです。
それがタカミムツビ。
このタという弥生語はタートーツーチと変化しますが、これは物の量、すなわち物量を表しています。
弥生語では、まず一のチ、次に、五(いつつ)のツ、十(とう)のト、それ以上は数え切れないタというわけです。
そのタが最大の物量を表すわけです。
つまりタカミムスビというのは、物質を生み出さんとするカミムスビの意志によって万物が生まれて神がそこに宿った状態というわけです。
この高皇産霊の世界こそ今我々が生きている宇宙の現象界の実相なんです。
ですから弥生語から見ると、まずカミムスビ、物質を生み出そうとする意志があって、その後に実際に森羅万象の万物となって神が宿った宇宙が出来上がったということです。
それがタカミムスビの世界であって、現に今もタカミムスビの世界ということです。
そういうわけで、古事記と同じくらいにできた日本書紀という日本の正史とされる古典では、最高の主神のようにタカミムスビを描いています。
この点では、日本書紀は正解です。
でも奈良の古事記編纂の時代には、ここがはっきり分からないから、一般にこれを後世に伝えても何を言ってるのかわからないだろうという考えからこれを陰陽の神として捉え、陽がタカミムスビで、陰がカミムスビという世界にしたんだと思います。
出典:日本書紀
以上のように考えるのが正しいということは、これから登場するウマシアシカビヒコヂであるとかアメノトコタチとかクニノトコタチとかあるいはイザナギ・イザナミ、十七柱には入っていませんが、アワシマとヒルコなどの意味が分かると、本当によく分かるようになります。
この古事記冒頭の十七の柱の神々というのは、実は、なんと宇宙の始まりから、太陽の始まり、地球の始まり、そして生物の始まりという過程を描いた世界なんです。
そしてその内容は実に現代の自然科学宇宙発生論とそっくりそのままなんです。
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古事記冒頭の十七の柱の神々は中国思想を原理として神文の神々で出来ている
ただ実際の古事記は、やはり中国の当時最も進んだ考えと思われていた陰陽五行思想あるいは易学の思想を取りいれています。
その証拠は陰陽五行思想だけではなくて三・五・七という陽数を尊ぶ中国思想によく表れているからです。
古事記の構成では一七柱の神の内、三柱の神とか、五柱の神を別天つ神(ことあまつかみ)とか、神代七代とかやたら陽数を使ってます。
この陽数を尊ぶの思想は明らかに中国伝来のものなのです。
日本古来の神道の思想というのは二・四・八・一六の陰数が古代神道の重視する数です。
紙垂(しで、しめ縄などに垂らす紙)は四枚、拍手も一般には二拍手、出雲大社で四 拍手、伊勢の神宮で八拍手なんです。
このように陰数を尊んでいるのです。
結局、古事記冒頭の一七柱の箇所は「神文」から神々を借用しながら、その構成原理は中国思想というわけなんです。