漢字が日本に入る前の言葉とはどんな言葉だったでしょうか?
漢字が日本に入る前、日本の言葉はどんな言葉だったか、知りたくはありませんか。
ところで、漢字が中国から朝鮮を経て日本に入ってきたのが、応神天皇の十二年の頃、実際には紀元後216年頃っていうんですね。
日本史の教科書にのってます。
今の韓国の地図の上で左側にあった国が百済(くだら)で、その親日派の百済(くだら)の王仁(わに)といふ者が、論語十巻、千字本(習字の手本として知られています)一巻などをたずさえへ日本の朝廷に献上した時です。
それから日本の文字の歴史が始まったのです。
その後、朝廷は、農業や製鉄に関する最先端の技術者集団の渡来人たちを大量に日本に入れたんですが、その多くが韓国人でした。
しかし実際には、この頃よりもずっと前に、渡来人と呼ばれる人々が中国や韓国からどんどん日本に来ていましたから、漢字も既にある程度は入っていたというのが真相のようです。
日本はその頃、何とかして圧倒的な文明国の中国に並ぶ国に追いつきたいと必死になっていましたので、漢字を知っている技能や知識の在る多く の渡来人(とらいじん)を入国させたのです。 出典:千字本
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大和言葉の基礎が出来上がる
彼らは、やってくると、まず、日本語の言葉の音に漢字を当てはめる、いはゆる「万葉仮名」と呼ばれる漢字を編みだし、すでに日本で話されていた言葉の文字化というものをはかったのです。
だから初めの日本の本は、古事記がそうですが漢字だらけなわけです。
まだ平仮名やカタカナはなかったのです。
やがて、漢字を省略した形のカタカナやひらがなが生まれたり、今の日本語と同じ「漢字かな混じりの日本語」の表記が出来上がっていったのです。
それで、つまり彼らの韓国語と同じ言葉の構成に成っているのです。
それで、日本語は韓国語がルーツだと勘違いする人が出てくる
出典:古事記原文
のです。
どういうことかと言いますと、韓国語も日本語も、英語や中国語とは違って、主語があって最後に動詞が来るウラル・アルタイ語系になっているということです。
英語や中国語は、主語の次にはすぐ動詞が来ます。
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古代弥生語の文型
そして倭人天族が使っていた弥生語の日本語も、実は主語+動詞の語形でした。
例えば
アマツムカムロミチパツノゥ、 という弥生語がありますが、
アマ ツム カムロミチパツノゥ
天は+ 意図する + 惟神(かむながら)の道の始まりを
という意味で、しかも英語などと同じ文型なのです。
S + V + O という文型です。
あらめて言ふまでもなく、日本に漢字が入ってくる前から日本にも話し言葉はあります。
それはそうである。
文字はなくても話は出来るし、現にどこの国でも幼い子供は文字を知らないでも話をする。
世界中に文字の書けない文盲の人々が現在でもたくさんいますが、彼等もそれぞれその国の言葉をかなり自在に話します。
大昔においては言葉は口から口へと伝へられ、耳に留(とど)められ記憶されてゆくものでした。
これを口承(こうしょう)と言ひ、わが国固有の言葉や神話も、漢字が日本にやってくる以前はその口承によって受け継がれていきました。
では文字がない頃の日本の言葉とは一体どんな言葉であったか。
無論、これは、一つの仮説として理解していただいて結構ですが、その頃の日本語は、大きく分けて、縄文語(じょうもんご)、弥生語(やよいご)、渡来語(とらいご)の三つから成りたっていました。
最も古い縄文語と呼ばれる言葉、これが日本語全体の凡そ80%を占める、と思われます。
とすれば、大概の日本語のルーツは縄文語になるということになるんですが、それはアイヌや九州隼人(はやと)族や熊襲族、その他いはゆる倭人天族の海洋民族がやって来る以前に土着してた人々の言葉です。
一方、後の弥生時代の後半に日本の本土に上陸し北国以外の日本を席捲する天族の弥生語は、たかだか8%前後にしかすぎません。
だったら、弥生語はそれほど重要ではあるまい、と思はれるかもしれませんが、それが、ちょっとちがうんですね。
この8%の弥生語が、例えば古事記のなかの言葉、ことに日本の神さまの名前の60%~70%以上も占めているとしたらどう思われますか?
逆にとても重要な言葉だといふことになります。
祝詞(のりと)や宣命(せんみょう)の中にある言葉は、八世紀頃に出来上がった万葉集のそれよりも古いものが多いと言われていますが、その古い言葉のなかに、ここで言ふ弥生古語がとても多く含まれているからです。
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