大神神社(おおみわじんじゃ)の正体
今回は、崇神天皇の一行が後世の奈良の三輪地方に入って制圧した後、すでに三輪一族が祀っていた大神神社をどうしたかという話をします。
太古 の 昔 から 祀ら れ て い た由緒のある 大神神社 の 土地 の 御 祭神 は、元々 三輪 の 国 珠 であった、という意味では大国主の分霊であったのです。
それが三輪山をご神体とする大神神社の原始信仰です。
そして 崇神一行の天 族 は、 改めて 事代 主 に 次ぐ 大国 主 の 分霊、「 オオモノヌシ」 として 祀る こと に し た の です。
大物 主 の 正体 は、 大物 主 と 事代 主 と 大国 主 との 関係 が わかる こと によって よく わかり ます。
出典:大神神社
これも弥生 語 の 解読 力 によって しかわからないと思います。
因幡(いなば)の白うさぎでおなじみの、古事記などで擬人化されている大国主とは、一言で言えば、地霊の神のことです。
それは、土地の神であり、大きく言えば、地球の神です。
それは事物(じぶつ)と生命・生物の神でもあります。
それらはそれぞれ、事代主の神、大物主の神として知られています。
擬人化された大国主
ア オ ナ ツ ム ヂ(大国主) →事代主(事物の神)→大物主(生物の神)ああ威大な秩序体の重なりのある力の流れ
という構造に大地はなっています。
「アオナツムヂ」 は 記紀 では「 オオナムヂ( 記)、 オオナムチ( 紀)」 で 大国 主神 の こと です。
大国主→産土(うぶすな)→コト(事物)代主→モノ(大物)主
という構造です。
スポンサーリンク
ウブスナの神の正体
神文の中に、
ウムツヨナコトモノピクル という文言があります。
これは、事、すなわち事物も、またモノ、すなわち、生きている生物も全ては、ウムツヨナ、すなわち、産土(うぶすな)の持つ土地のエネルギーによってはじめて存在することをいっています。
これが古代神道の土地に対する基本的な認識です。
この故に、神社参拝の心得として、挨拶として、祈願に際してもまずは自分が住んでお世話になっている産土の神社にお参りするべきだ、という言い伝えがあるわけです。
それからたとえ自分の土地であっても、或いは土地を購入して改めて家を建てるときでも、地鎮祭をする際には、その土地の神と産土の神に対して「降神の儀」という儀式を行ってご挨拶をすることが不可欠なのも、今言ったような理由からです。
いくら「自分の土地」だ、とは言っても、もともと自分の土地などというものはない、という認識がそこにあるからです。
法的には土地はその人の権利ではあっても(現に<権利証>というものがあります)、本来は土地神のモノという認識が背景にあるからだと思います。
スポンサーリンク
「権利」とは、元来どんな意味があるか?
それが「権利証」の「権、けん、ごん」の意味なんですね。
「権」とは「仮の、副の、二番目の」という意味だからです。
権利証の権とは、仮にあなたに土地の権利がある、ということなのです。
神社用語でも、権宮司は副宮司であり、権禰宜(ごんねぎ)は、禰宜(ねぎ)の補佐役です。
権現(ごんげん)さま、などと言いますが、この意味も「仮に現れた神」という意味です。
徳川家康公を祀った東照宮の東照権現(とうしょうごんげん)とは、「本来神であったものが仮に東を照らすべく徳川家康という人間になって現れた方」という意味なのです。
本題に戻ります。
この産土(うぶすな)の上に、大国主(おおくにぬし)があるわけです。
それともう一つ付け加えておきますと、事という事物、具体的には、岩石や土も、生物同様、生きています。
かつてのニュートン以来の唯物論的物理学や化学の科学的世界では、事物は生きているとは言わなかったかもしれませんが、事物の量子力学の世界レベルでは、生きていますし、人の心ともつながっています。
「人の心」も電磁波の一つであり、量子波の一つだからです。
つまりは、万物はなにもかも、すべてが「生きとし生けるもの」ということです。
仏教では「山川草木国土悉皆成仏(さんせんそうもくこくどしっかいじょうぶつ、山も川も草木も国土もことごとく皆成仏している)」と言っています。
大地= 土台となる事物→ 生物の発生
大国主 事代主 大物主
という関係です。