はじめに
平成28年に「古事記 祓い言葉の謎を解く」というタイトル そしてー伊勢・鹿島・香取・春日の起源ーというサブタイトルで本を出版しました。
あれから約5年余りの歳月が流れました。
やはり 振り返りますと足らざるところや 気になるところが多々出てくるものです。
それで 今回この本のアマゾンの Kindle電子書籍化にあたり加筆訂正をいたし より良い本にしたいと考え その原稿の意味でこのブログに投稿することにいたしました。
興味のおありになる方は 読んでいただければ大変嬉しく思います。
よろしくお願い申し上げます。
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驚きの「弓前文書」との出会い
私が 弓前文書という驚きの所に初めて出会ったのは 私の勤める神社の図書室でした。
当時 鹿島神宮で図書の係もしていた私は その弓前文書の解説書である「弥生の言葉と思想が伝承された家(池田秀穂著)」という本を係として事務的に受け付けてはいましたが その時は全く気にも留めてはいませんでした。
当時は 失礼ながら一瞥して古代史に興味のある 方 が 個人的に探究された神道本の類であろうぐらいにしか思っていませんでした。
ろくに読みもせず勝手に決めつけてしまういつもの悪い癖が出てしまいました。
だが ある日のこと やはりこれが縁というものなのでしょうか その本のタイトルにひかれ 改めてその本を手に取る気になりました。
それに 鹿島・香取のことが書かれているところが何と言っても気になったのです。
というのも 鹿島神宮にお仕えしているのに 肝心な鹿島の神の事がよくわからないのでは話になりません。
かねてから その悩みがありました 。
それまで 私も神道のルーツや古代史に関すること とりわけ現在の神社神道の起源などについては 及ばずながら探求する想いだけはありましたので 既にいろんな本を読んではいました。
先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)大成経とか竹内文書 ホツマツタエや九鬼文書 他にもそういう歴史学会では「偽書(ぎしょ ニセ文書)」 扱いされ うさん臭く思われていた本にまで手を出していました。
しかし 残念ながらいずれも 私には得心がいくものではありませんでした。
無論 まともな古典と思われている古事記・日本書紀などの学術的に評価されている古代史書や本居宣長(もとおりのりなが)や平田篤胤(ひらたあつたね)などの有名な神道書 にも 全てではありませんが勉強していました。
が 結局 「神道でいう神とは何なのか」ということについて腑に落ちるまでのものに出会うことはありませんでした。
まさか弥生語という前代未聞の古代語からなる 弓前文書の解説本「弥生の言葉と思想とが伝承された家(池田秀穂著)」との出会いが長年のそんな密かな願いを満たしてくれるものになろうとは思ってもみませんでした。
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「神道の神」が分からない最も大きな理由 それは実に弥生語と言われる言葉から成る 神々の名前なので その言葉がわからなければ本当には理解できないのだ ということが分かりました。
初め この本は何か読みづらく 今一つ分かりづらいという印象を受けました。
ただ直感としてはひょっとしたらこれは本物かもしれない と思わせる何かをも感じました。
分からない所は自分の無知無学のせいなのではないか ひょっとしたら実は自分は何かとてつもないものに出会っているのではないか 何かそんな予感がしたのです。
こうなったら もう著者本人に直接聞いてみたいと思ったのです。
その後この文書解読のため失明された池田先生に直接お会いし面授していただいたのはわずか2度だけですが あとは神戸の先生の自宅と鹿島の私の自宅での電話でのやり取りを通し約5年間にわたって教えを受けました。
今ではこのご縁を千載一遇(せんざいいちぐう めったにないよい機会)の幸運だと思っております。
私事になりますが私の家は鎌倉の建長時代から代々鹿島神宮に片岡宮司家の分家の家枝神(けしがみ)と言う中臣氏 神職の一社家としてお仕えし 私で31代目です。
一方池田先生の先祖は藤原氏九条家です。
江戸時代に 思うところがあって野に下って池田姓となったということです。
紀元前300年頃にアメノコヤネから倭人天族が受けた口伝えを7世紀初頭に 香取神宮の神職であった弓前値名(ゆまあてな)が文字化した弓前文書 これを受け継いだ家柄です 。
藤原氏の中でも朝廷の有職故実(ゆうそくこじつ)を担当した家柄ですが 池田先生の先祖は九条家今野氏といい そのご縁から弓前文書 を受け継ぎ考究する家柄であったそうです。
そしてこの弓前文書は 古事記・日本書紀の 種本(たねほん 基になっている原本)なのに 記紀の意図した内容と齟齬(そご くいちがい)するところがあることから この文書は代々秘匿(ひとく こっそり隠される)されてきました。
今の時代になってやっとその時を得て公開されたわけです。
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スサノヲの神の実体がわかる
ところで 池田先生が現代日本語に埋没してしまっている原日本語である弥生語による 例えば古事記の神々についての解読は まさに神職を含め現代人の度肝を抜くものといえるものです。
その一例を挙げてみます。
日本神話で有名な神である「スサノヲ」という言葉ですが 一音一義(一つの言葉には一つの意味がある)という弥生語の原則から解読すると その本来の姿がよく見えてきます。
「スサ」というサ行の子音は「何もない 何もなくす」という意味があります。
「ノ」は本来は「ノィ」という弥生語で「秩序」を表す内容の完了形の「ノィ」で「済んでしまった」という意味です。
「ヲ」は弥生語では「過去及びその記憶」さらには<罪 >」という重要な意味があり それらを「スサ」すなわち「一切なくしてしまう」 という意味になるのです。
このような意味を持つ「スサノヲ」という言葉はスサノオの神を特徴づける「荒ぶる姿」や「罪をつぐなう贖罪(しょくざい)的側面」 そして「根の国にいる海の神」の数々の神話が構築されたということがわかってきます。
このような聞いたことのない切り口にはとても説得力を感じました 。
さらに先生によると 古代弥生神道の理解のカギは現代の自然科学にある ということを常に力説されておりました。
そういうわけで先生の話には 私の弱い自然科学に関する話が多かったためにその神文を理解するのにもかなりの長い時間を要してしまいました。
現代では その元々の発音が変化している古代弥生語という一つの原日本語と自然科学という新しい視点を得たおかげで これまで深い霧に包まれていた神々の実態や神道の世界が ことに古事記・日本書紀の「神代巻 じんだいかん」の冒頭に登場する重要な神々のほとんどが非常にはっきりと理解できるようになりました。
こうして私は弥生語という古代日本語の世界とこの皇室の大君を中心とした倭人天族の日本の歴史にすっかり魅せられて行きました。
お知らせ
約六年前 拙著「古事記 祓い言葉の謎を解く」を出しましたがあちこち不備があり気になっていた所も多々ありましたので この度 あたらしい知見も加え電子書籍化してその改訂版を出すことにしました。
「伊勢・鹿島・香取・春日の起源」-天津祝詞の太祝詞の奥義ー
という本です
六~七巻続ける予定です。今回はその「第一巻」です。。ご高覧頂けたら幸いです。萩原
アマゾン 神道、祭祀部門の新着ランキングで現在(12月9日現在)で「第一位」になっています。12月12日現在のアマゾン売れ筋ランキングでも「第一位」になっています。