以前、シリーズとして、<どんな学者もどんな神道家も知らない「天津祝詞の太祝詞」>を「その9」までお伝えしましたが、今回は「その10」として「一二三(ひふみ)」の祝詞」を取り上げます。
「一二三(ひふみ)」の祝詞は「天津祝詞の太祝詞」ではない という話
世間に流布している「一二三(ひふみ)の神言」と称するものがあります。
「一二三四五六七八九十百千萬(ヒフミヨイツムナナヤコトモモチヨロズ)、フルエ、フルエ、ユラユラとフルエ」というものです。
一二三四五六七八九十百千万 布留部 布留部 由良由良止 布留部(フルエ、フルエ、ユラユラとフルエ)とも表記します。
ここでは、これを、言い伝えられている「一二三(ひふみ)の文言1」とします。
この文言は先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)と言う大和朝廷において軍備を司った物部氏によって、また物部氏のために編纂された彼らの「古事記」のような書物の中に出てくる、「魂振り鎮魂(たまふりちんこん)のための言葉」と言われているものです。
もう一つ「ひふみ」の言葉として以下のような文言も言い伝えられています。
それが
「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ。」
これを「一二三(ひふみ)の文言2」 としておきます。
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伝えられる「一二三(ひふみ)の神言」にはほんとうに力はあるのか?
以上の二つは「ひふみの神言」としてその専門筋ではよく知られていますが、 「これを唱えると 死者もよみがえる」と喧伝(けんでん)されたりしている有名な呪文と言うか、かなりスピリチュアルな意味があるとされる言霊です。
そして、ネットでググると、実にいろんな御利益や功徳があるかのような記事を見かけますが、よく読んでみるとしっかりした証拠もなく 広く称えられている言霊のようです。
私は、そういった言霊の世界や古神道と称しているものについての知識がなかった頃には、「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」程度の認識でいましたが、弓前文書(ゆまもんじょ)との出会いによってその考えは全く一変しました。
激変したと言っても良いでしょう。
なんと、その原型の言葉が、より正しく、より納得のいく完全なカタチで、ここで一音一義(古代の日本語で一音に一つの意味をそれぞれに持っている)古代弥生語(こだいやよいご)と言っている言語で残されていたことを知ったからです。
その視点から見ると、やはりこの言葉は「神文(かみふみ、弥生語で書かれている)」 から採った文言で、しかも一知半解(いっちはんかい、十分には分かっていない)のいい加減な欠陥のある文言であり、片手落ちの文言である、ということが如実にわかる原文を見ることができたからです。
まず 「一二三(ひふみ)の文言1」の方から見ていきます。
「一二三四五六七八九十百千萬(ヒフミヨイツムナナヤコトモモチヨロズ)、フルエ、フルエ、ユラユラとフルエ」というものです。
これは一般に「日本数詞」と呼ばれていますが、よくよく見てみると、一から始まって万(よろず、まん)の位の世界で終わっていることが一目で分かります。
少し考えてみれば分かることですが、いくら数に神秘的な力があるとしても、一から万の位まで唱えることがエネルギーを生ずることになるのか、という疑問がまず誰でも起こると思います。
やってみればお分かりになると思いますが、実際に何らかのエネルギーが発生するでしょうか ?
しないと思います。
なぜこんな子供だましのようなことを言い、大の大人が性懲りもなく唱えるのでしょうか、という疑問は誰でも起こると思います。
そこにあるのは、ただ物が増えて行くと言う「増殖の世界の 表現」でしかありません。
ただそういう言葉だけがあるだけです。
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「フルエ、フルエ、ユラユラとフルエ」という言葉の由来
なお、「フルエ、フルエ、ユラユラとフルエ」という言葉は、古代弥生語からできている「神文(かみふみ)」 の中の「トプルぺユラ」「スプルぺユラ」から➡「プルぺ、ユラユラプルぺ」➡「フルエ、フルエ、ユラユラとフルエ」と創作したということが見て取れます。
古代P音は、平安時代の頃にはH音に変化しますので、プはフと発音されるようになります。
このことは、明治時代の学者、上田萬年(うえだかずとし)博士の「古代P音の研究」でよく知られている事実です。
次は、「一二三(ひふみ)の文言2」 です。
「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおえ にさりへて のますあせゑほれけ。」
これは 「ひふみ よいむなや こと」までは全く同じです。
一から十までの数詞です。
上田萬年(うえだかずとし)
ではそのあとは何か、と言いますと、何のことはない、「 あかさたなはまやらわ」行の言葉をすべて意図的に別の表現に書き換えただけの文字の羅列です。
一音一義(一音一音に全て意味がある)と いう 古代弥生語ならいざ知らず、いわゆる奈良時代に成立したいわゆる大和言葉は一音一義ではないので、一音一音にエネルギーがこもった力を出す言葉とは思えません。
そこにどんな効能があるというのでしょうか。
これも 実行されてみたら分かると思いますが、どんな言霊の不可思議 が起こるでしょうか、よくよく検証すべきだと思います。
眠くなってくる 催眠効果のようなものはあるかもしれません。
私にはただ退屈な言葉にしか感じませんでした。
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本当の「一二三(ひふみ)の神言」 の話
では本当の「一二三(ひふみ)の神言」 の話をします。
この「一二三(ひふみ)の神言」は、結論から申し上げれば、「この我々が見ている現象世界の宇宙や人や万物の実相」を述べたものです。
次に「神文」のなかの「弥生語」から、その個所のところを、わかりよいように、私の解釈をも入れながら引用します。
ピトプタミミー123- ある意志をもってこの身体となった肉体生命。
ヨウツムナルー4567-神の種から細胞分裂を繰り返し 増殖し雛形のピナになった、ここまでが1から7までの弥生語の言葉の意味です。
ヤクコトタルー8910-10以上は「タ」と言い、弥生語では最大の物量を「タ」といいます。
「タ」は、ですから、「あり余る物量」を意味し、「無限の物量、エネルギー」の意味をも持ち、今の世界の神道で言う最大最高の神が「タカミムスビ」であり、その神に準ずる神が「タジカラ」の神といわれるのはその弥生語と言う言葉から来ていることがよく分かります。
「日本書紀」も、ですから、そのようなスタンスで宇宙最大の神として、「タカミムスビ」を描写しているのです。
次に、
エモマチヨロー 重萌増育(エモマチ)、これを「百千、モマチ」と誤解し誤伝し、更に次の
ジュプルぺヨローのジュと前のヨロをくっつけて「ヨロ+ジュ」で「万(ヨロズ)」として、伝えられる「一二三の神言」をうまい具合に「百千万(モモチヨロズ)」と「増殖の呪言」として創作してしまったのです。
「ヨロ」は「~によって力が失われていく」という意味の弥生語で、「よろよろ」は現代語でも「力が失われている状態」として使われています。
この続きは、長くなりましたので、次回に譲りたく思います。