やまと言葉の中の弥生語11ーヤ行は「垂直因果の関係を表す」です
弥生語ヤ行は「因果の関係を表す」言葉です。
そして弥生語ヤ行はーya(ヤ) yau (ヤ)yo(ヨ) you (ヨ)yu (ユ)yi(イ) yiu(イ)があります。
大山祇(おおやまずみ)神社の「祇、ずみ」の語源は?
(ヤ)の例として、yauma(やま、山)考えてみたいと思います。
(やま、山)は、
yau mau
(上へと変化する) (まことの姿)
で、「山」の意味になるのですが、この山の本来の弥生語の言葉が、弓前文書の中の「神文(かみふみ)」の中の地球創成物語の言葉として出てきます。
ヤ マ ツ ジュ 三
(yau) (mau) (tu) (jiu) (mi)
(上へと変化する)(まことの姿が) (積み重なって) (寄せ集まった) (物体)
という意味で、その最初の部分のヤマだけを「山」と言ったのです。
これが山という語源です。
実は、この元々の弥生語の言葉を御祭神に使っている有名な大社があります。
それが四国愛媛の今治(いまばり)にある”大山祇(おおやまずみ)神社”です。
伊予国(今の愛媛県)の一の宮で、旧社格は国幣大社で四国で大社といったらここしかありません。
それほど天下に聞こえた大きな神社です。
愛媛県の大山祇神社
主祭神の大山祇の神は「三島大明神」として、四国を中心に新潟や北海道にまでその御分社があります。
さてこの大山祇とはどんな神様かと言うと「山の神」としての第一の意味がありますが、海を利用する人々たちの海の神としても信仰されるようになっっています。
文化財でも源頼朝(みなもとのよりとも)や義経(よしつね)らの奉納の国宝 8件、重要文化財に至っては76件(2014年現在)もあり、筆者 もう一度宝物館を見たことがありますが実に壮観でした。
これで山の神、 大山祇というズミの意味がよくお分かりになったと思います。
スポンサーリンク
大山咋(くい)の神の咋(くい)の語源は?
ところで、大山祇(ずみ)と 大山咋(くい)の違いなんですが、この両社はなんとなく似ているのでよく引き合いに出されるのですが、両社は全く世界を異にする神様を祀っています。
一般にはこの咋(くい)を杭(くい)と同じに解釈し、山に杭を打ってその山の所有者という意味を込めたもの、などといった解釈が流布しています。
大山咋(くい)を祀る日吉神社
どうも神社側でもそういう説明をしているようですが、これは完全に誤りです。
なぜならばこの杭は、依代としての杭の意味ではなくて咋(くい) の漢字からも分かりますように「食う、食らう、噛む」を意味する古代弥生語の「xui,クイ」なのです。
だからこそ大山咋神は、穀物の神、大年神(おおとしのかみ)を父とし、同じ食べ物の神、稲荷神の甥っ子という伝承となっているわけです。
最も「杭」と言う漢字の大元の意味では「食い込む 木」 という意味では共通した面があることは事実ですが、 オオヤマクイは単純に食べ物の神の意味であり、依代(よりしろ、そこに神霊が依りやどるもの)の杭の意味ではないということです。
スポンサーリンク
幽世(かくりよ、死後の世)の語源がわかる
次はyou(ヨ)について。
基本的には「それによって」という意味で使われる言葉です。
「よって」と言い今も生きています。
また「世の中」という意味の「世」 の意味でも使います。
モ ト ツ ヨ(元の世、生まれる前の世)
(mo)(to)(tu)(you)
ウ ツ ロ ヨ(移りゆくこの世)
(u)(tu)(ro)(you)
カ ク ロ ヨ(死んでいく世、幽世<かくりよ>のこと)
(xa) (xu) (ro) (you)
この三つの「世の中」の表現で皆さんが一番気になる言葉は、恐らくカクロヨと言う 「死者の世」の表現かと思います。
この弥生語から生まれた カクロヨとはこの世から見た死者の姿を如実に表現している言葉だと言えます。
はじめのxa(カ)は「狩り取られる」意味で、次のxu(ク)は「食われていく」という意味です。
死という自然の法則により生ある肉体はやがてxa(狩り取られ)、いわば「喰われて朽ち果てる」様子をよく表していると思います。
ついでに言いますと、今言った「朽ちる」もxutiuru (食われてエネルギーがなくなる)という意味です。
スポンサーリンク
香取神宮の御祭神は何故「フツヌシの神」の他に「斎主(いわいぬし)の神」と言うのか?
最後に、yi(イ)、yiu(イ)の入る、神社神道上、重要な話をしたいと思います。
下総一之宮、旧官幣大社で鹿島神宮と対になっている香取神宮の御祭神名について、今までお聞きになったことのない本邦(ほんぽう)初公開の話をします。
香取神宮の御祭神名は、一般には「フツヌシ、経津主」と言います。
伊波比(いわい)主を祀る香取神宮
ところが、「斎主(いわいぬし)の神」ともいいます。
古い文献では、日本書紀の一書に曰く、の中に記されています。
「斎主」といえば、誰でも「お祭りを主宰する祭主」と思います。
とすると、じゃあ香取の神は、いったい誰を、あるいは、どの神様をお祀りするのか、と思いますよね。
この香取=斎主の問題に明快な答えを出した学者がまた誰もいないのです、知る限り。
香取の神はそのペアである鹿島の神を祀る、と考える人も結構いますけれども、それは第一にに香取神宮側では絶対に受け入れることのできない解釈だと思います。
では一体何をお祀りする「斎主」なのか?と言う問いは、今でも宙に浮いていて、解決されることがありません。
ではこの問題の解決に入ります。
香取神宮を参拝されますと拝殿・本殿に向かって左やや奥のところに匝瑳(そうさ)神社という末社があります。
そこに祀られている神様は磐筒男(いわつつを)・磐筒女(いわつつめ)と書かれています。さらにこの岩の神は「香取神宮の御祭神の親神」としっかりそこに書かれています。
そうなんです。
香取のフツヌシという神は、実は岩の神の子供だったということになります。
猫の子は猫です。岩の子は岩なのです。
「いわいぬし」とは、いわい➡yiwapiu➡「岩の意志」という意味だったのです。
なので、香取の神「経津主、フツヌシ」は宇宙的エネルギ―を持つと同時に地球の地の底からフツフツと湧きおこる岩裂・根裂そして磐筒男・磐筒女の岩の意志を持った「伊波比主(いわいぬし)」の神でもあったのです。
それを「斎主」と誤記ないし誤伝した為におかしなことになってしまいました。
これも弥生古代語でしか解明出来ない言葉だからです。
鹿島からの天のエネルギーを地に留めて、下からフツフツと岩を中心に 湧き上がってくるエネルギーこそが香取の神の実体です。
ですので、伊勢の外宮の豊受大神と似たように、下からエネルギーを与えて万物を育むという意味で、香取神宮では大饗祭をはじめ地上の恵みをに感謝するお祭りが多いのではないかと思います。
豊受大神の方はあくまで太陽のエネルギーですけども、香取の場合は宇宙的なタジカラのエネルギーです 。
では 香取の神が何故「斎主」とされていまったのかといいますと、基本的に香取の神は親神である匝瑳神社の磐筒 男・磐筒女の子として基本的に岩に象徴される側面を持っています。
ですので、フツヌシの他にyiwapiu nutiu(イワピヌチ➡イワイヌシ)と言われるようになったわけです。
そして、元々は「伊波比主」の 記述であったのに、誰かが、何時かはわかりませんが「斎主(いわいぬし)」と勘違いして誤記し、そのまま後世に伝えていったのではないかと思います。
追記
天の鹿島の神と地の香取とがつながる媒体の象徴がお互いの岩でできている要石です。
お互いの岩を通して鹿島の天のエネルギーが香取の要石へ伝えられる形を象徴化したものが両神宮の要石です。
なにしろ香取の神は「岩の意志という意味の伊波比主(いわいぬし)の岩の神」であるからです。
ただし「斎主(いわいぬし)」という表記は、大間違いだったということです。