どんな学者もどんな古神道家も知らない「天津祝詞の太祝詞」その7

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「先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)」の中の「一二三(ひふみ)の祝詞ひふみ(のりと)」を「天津祝詞の太祝詞」という説

この「先代旧事本紀」について、宣長は『うひ山ふみ』の中で次のように言っています。

「道を知るためには第一に『古事記』である。神典は、『先代旧事本紀』、『古事記』、『日本書紀』を昔から、三部の書と言って、その中でも研究したり読んだりするのは『日本書紀』が中心で、次が『先代旧事本紀』、これは聖徳太子の御撰であるとして尊び、『古事記』はあまり重視されず、特にこの本に注目する人もいなかった。

それが少し前からやっと『先代旧事本紀』は偽書(ぎしょ、本物をよそおったニセ物の本)だということになり、『古事記』が注目されるようになった。

これは、まったく私の先生・賀茂真淵によって学問が開けてきたおかげである。」

ようするに、宣長は、旧事本紀を、偽りの書、だと結論付けています。

少し前の水戸の徳川光圀(とくがわみつくに)も、「大日本史」編纂時に、嘘が多い、としてすでに偽書と断じていました。

旧事記が偽書だと暴かれたのは、意外と遅く、近世の江戸時代に入ってからのことだったんです。

それまでは、長い間、真書だと思われていたんですね。

『旧事本紀』は神代から推古朝までの事跡を全十巻に記し、その序文では、推古二十八年(620年)に天皇の勅(ちょく、天皇のおおせ)を奉じて聖徳太子が蘇我馬子等に命じて撰定させた、ということになっているのですが、これがまず大嘘でした。

というのは、本文には、旧事本紀からすれば後世の『書紀』(720年)や『古語拾遺』(807年)からの文言が引用されていたからなのです。

その長い間、真書だと思われていた理由ですが、どうも初めから偽書を作ろうと思っていたわけではないようなのです。

というのも、我が国初の正史「日本書紀」が出来てからほぼ三十年に一度、宮廷で講読される「日本紀講(にほんきこう)」という訓読法(くんどくほう、漢文の読み方)や文意を解き明かす会合が、公卿(殿上に昇殿できる天皇側近の人)などの殿上人相手にひらかれていたんですね。

そうした日本紀講の中で生成されていく中で新しい説がおのづから形成されていったというわけなんです。

それと物部氏のために構築された神話や十種の真言とか神宝をちりばめて出来上がっているので、どうやら物部氏の誰かによる物部氏のための史書、それが、どうやら『先代旧事本紀』の骨格であったようです。

出典:石上神宮(いそのかみじんぐう、物部氏の総氏神とされる)

ですから、はじめは偽書を作ろうという意図はなかったのですが、あとから物部氏の誰かが物部氏復権のために、さきの「日本紀講」などを利用して創作作為した、というわけです。

しかし、近年、物部氏の伝承とか、参考とすべき多くの内容もあるという機運も起こってはいます。

鎌田純一氏とか安本美典(びてん)氏とかの学者さんの論考です。

私には、弥生語というわが国の古代を解く最も重要な鍵から見ても『旧事本紀』については、疑問が前からたくさんありました。

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日本書紀の客観性

もっとも、それをいうなら、記紀(きき、古事記と日本書紀のこと)や古語拾遺(こごしゅうい、平安時代の神道資料)も例外ではありません。

ここにも、たくさん作為的なものがあります。

いずれも、イザナキ神話のところでもすこし触れましたように、奈良時代にできた創作的部分はかなりあるからです。

官選だからといって、政治的意図がゼロということはありえません。

いや、官選であればこそ、そこに政治的意図がかえってあるはずです。

官とは、政治そのものですから。

お上(かみ)ですから。

なんといっても上が下を支配する、非民主主義時代の書物ですから、それはある程度はしかたがありません。

そうはいっても、官選の日本書紀は、同じことについていろんな説を伝えることによって、客観的、学問的立場を保持しようとしている所などは大いに評価できると思います。

そして、書紀は、いよいよになると、後世にぶん投げてしまう、という態度をとります。

「後勘校者、知之也」(のちに考える者が、これを知るであろう)と記しているのです。

これでいいのかもしれません。

今の科学者だってやり方は同じでしょう。

そもそも、「日本紀講」などという学問的会合が生まれたのだって、そういう客観的な日本書記のスタンスがあったからです。

お知らせ

この度、アマゾンのKindle版電子書籍として、「天津祝詞の太祝詞の発見」ーどんな学者もどんな神道家も知らない天津祝詞の公開ー萩原継男著、という本を出版しました。

ここで「弓前文書(ゆまもんじょ)の神文(かみぶみ)」に秘蔵されていた「原典の<祓い言葉の言語>としての<天津祝詞の太祝詞>」を本邦ではじめて公開することにしました。「天津祝詞の太祝詞の発見」の本ご高覧頂けたら幸いです。

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