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奈良時代にできた大和言葉と現代国語には消えたX音とTs音
弥生語のうち、大和言葉と現代語には消えてしまったのに、どっこい、変化して現代語の中に生き残っているとても重要な言葉があります。
それはX音とTs音とです。
まずX(か、は)行。
き、ないし、へ(xi) く(xu) こ、ないし、ほ(xo,xou) か、ないし、は(xa,xau)の順で母音は強くなります。
X子音は、喉音(こうおん)といい、喉の奥から出す音です。
食べ物、食べることに関わる言葉です。
食べ物は、喉から手が出るほど欲しいものだから、のどの音で、喉音(こうおん)というのです。
X子音は、奈良時代、K音とH音とに分かれて消えていきます。
「母」も、元々はXauxauですが、何故「はは」のh音と「かか」のk音になったのかも同じ理由です。
次にTs(つ)行
ち(tsi,tsiu) つ(tsu) つぉ(tsou) つぁ(tsa)の順で母音は強い、
実は、この言葉を知らないと、例えば、鹿島の神と香取の神の同じ「フツの神」が解き明かすことは不可能なのです。
それを次に説明します。
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鹿島の神と香取の神の実相
以上を踏まえて、鹿島の神と香取の神を解き明かしていきます。
前代未聞(ぜんだいみもん、いまだかつて聞いたことのない)、どんな学者も知らない鹿島香取の神の解明です。
まず、鹿島の神、武甕槌(タケミカツチ)
タケー弥生語でtakai(猛々しい、粉砕の意味)
ピカ→ヒカ→ミカと変化したのですー弥生語でpika (宇宙最大のエネルギー)
ツチー弥生語でtutiu(増大する力)と弥生語で詳しく説明できるのです。
ついでに、tiu(チ)は、流れるエネルギー、の意味で血(チ)、乳(チチ)の語源です。
次に、香取の神の名は、経津(フツ)主(ヌシ)であるが、鹿島もタケミカツチのほかに、武フツ、豊フツ、佐士フツ、フツの御魂と言ってやはり、フツの神といいます。
この同じ「フツ」の名が、古来、学者たちの「悩みの種」で、これを解決した学者は一人もいません。
同じフツの神が何故近くに二つ祀られているのか、古来この謎を納得のゆく形で解明をした学者は誰もいないのです。
神社神道の教祖的存在である有名な本居宣長も、鹿島の神と香取の神は同じ神で、荒魂が鹿島で、その和魂が香取と解決を試み解いたつもりでいるようですが、彼の解釈に従うと、鹿島の荒魂と言われる奥宮は鹿島の神で、和魂と言われる本殿は香取の神ということになってしまいます。
もしそうなら、香取神宮は要らないということになり、この説はここで早くも破綻(はたん、ほころびている)しています。
ですからやはり宣長説はおかしな妄説だとわかります。
ところが弥生語で解けば、ハッキリします。
正解は次の通りです。
鹿島のフツは、Putsuであり、香取のフツは、Putuなのです。
鹿島の神は、ソラピカといい、空にある宇宙の力(エネルギー)で、これがイカツチのように、或いは剣のようにタケピカツチとして天下る。
これを、古代、大和朝廷の母体をなした人々の言葉でPutsu(プツないしフツ)の神と言ったのです。
剣(tsurugi,ツルギ)、鋭い(スルドイ、古代には、tsurudoi,ツルドイ)、突く(tsuku、つく)と同じ世界の「tsu」で「tu」とは別世界の「ツ」だったのです。
そしてそのエネルギーは地の内に貯められて地のエネルギーとなり、岩石やマグマを育てる神として香取の神は、鹿島の神の受け皿の役目を担っています。
鹿島の神のエネルギーをチャージしてたくわえ、フツフツと地から湧き上がるPutuの神が香取の神なのです。
鹿島のPutsuは剣がそのシンボル、これを「フツの御魂の剣」といい、そういう理由から、御船祭に見られるように、「フツの御魂の剣」は、鹿島から香取へと向かうという形をとるのです。
香取から「フツの御魂の剣」が鹿島に向かうということは決してないのです。
なぜなら、香取は剣を受ける鞘(さや)だからです。
「鹿島立ち」という言葉があります。
また「香取待ち」という言葉もあります。
しかし、この言葉のほんとうの意味を教えてくれる人はいません。
鹿島・香取のほんとうの関係を知る人が、今はいないからです。
それは「鹿島立ち」して「香取待ちする」ということを表現しているです。
その意味は、鹿島の太刀を香取の鞘に収めるということです。
それこそが香取のPutu(フツ)の意味なのです。
むろんこれは比喩(ひゆ、たとえ)です。
イカツチに象徴される宇宙大の鹿島(タケミカツチ)の神のエネルギーは、岩(磐裂・根裂、磐筒男・磐筒女が親神)に象徴される地下の香取の神にたくわえられる、という関係にあるのです。
なので、香取のフツヌシ(ほんとうは、フツヌチ、Putunutiu、フツフツと湧き上がる地下のエネルギーの意味、鹿島のエネルギーが地下に蓄えられたエネルギーのこと)は、鹿島の剣に対して鞘(さや)の関係にある、というのです。
同じフツでも、鹿島はPutsu(プツ→フツ)であり、香取はputu(プツ→フツ)だったのです。
よって、鹿島と香取の掛け軸の掛け方は、向かって右が香取神宮、向かって左が鹿島神宮が正しいということになります。
でも大抵が向かって右に鹿島を置き、向かって左に香取を掛けています。
向かって右は上位、左は下位という神社祭式に則っているからだと思います
しかし自然の理から判断すると、向かって右の手は受け手、向かって左の手が発動する陽の手です。
刀と鞘の関係です。大自然の道、その理こそ「かむながらの道」です。
鹿島・香取の神も「大自然変化の流れゆく道筋」の「惟神(かんながら)道」の中にあります。
向かって右に鞘があり向かって左で太刀を持つのが自然だからです。