どんな学者も神主も知らない「本宮神社(ほんぐうじんじゃ)」という春日大社の奥宮の起源

春日大社のほんとうの起源とは?

奈良の春日大社の摂社(せっしゃ、重要な末社)の掲示板に次のように書かれています。

そのまま引用します。

御祭神は武甕槌命様

    経津主命様

    天児屋根命様 

御例祭  十一月九日

「御蓋山(みかさやま)は太古の昔より霊山と崇められる神奈備(神の宿る森)で、神護 景雲二年(七六八)御本社第一神殿である武甕槌命様が白鹿の瀬に御乗りになり頂上の浮雲峰に天降(あまくだ)られた神蹟 である。毎月1日にはこのところに神饌を供し、頂上の本宮神社を遥拝する」 

とあります。

しかし、これ、ほんとうは少し違うんですよね。

いや、少しでなく、大いに違うんです。

というか、とても誤解を招く表現になっています。

書き方がとても悪い。

どうしてこんな書き方をされるのでしょうか。

                            御蓋山(みかさやま)御神影図

どこがか、って言いますと、これでは「神護 景雲(じんごけいうん)二年(七六八)に武甕槌命(たけみかずち)様が白鹿の瀬に御乗りになり頂上の浮雲峰に天降(あまくだ)られた」との誤解が起こる表現だからです。

事実はそうではないのです。

武甕槌命が現在の春日大社の御本社第一神殿に祀られたのが、神護 景雲二年(七六八)である、ということなのです。

それは現在の三笠山の麓にある春日大社の成立の年のことです。

では、武甕槌命が白鹿の瀬に御乗りになり、頂上の浮雲峰に天降られたのはいつの事かといいますと、実は、これより遡ること、六十年前のことです。

現在の春日大社本殿

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春日大社の起源は三笠山頂上の「本宮神社(ほんぐうじんじゃ)」にあります

七〇八年、元明天皇の御代、奈良、平城京に遷都した年に、この頂上にある本宮神社が祀られたのです。 

藤原不比等(ふじわらふびと)と言う時の右大臣が藤原氏の氏神として勧請しました。

隣にあります興福寺も同じこの年に建立されました。

興福寺は元は藤原鎌足が建立していた山階寺(やましなじ)を 不比等がこの年の平城京という新しい都の建設にあたって移したお寺です。このことは、たびたびこのブログに引用している「弓前文書(ゆまもんじょ)」の中の「委細心得」の中に、しっかりと 記されています。

藤原不比等

そのなかに「不比等、御雷(ピカ)の珠(たま)を都に招(お)ぎぬ。ここに、鹿島の司をしてその分霊を奉じて都に上らしむ」と記されています。

もう少し詳しく言いますと、「六代、身庶(みしょ)という鹿島の司をして都に上らし三笠山の頂上に祀りぬ」と記されています。

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春日大社は平城京の遷都の七〇八年が創建の年

その時が、七〇八年、元明天皇の御代、奈良、平城京に遷都した年なのです。

現在、この本宮神社には、タケミカヅチノミコトの他に経津主命と天児屋根命が祀られていますけれども、この藤原不比等が建立した時には香取の神の経津主命も 天児屋命も祀られてはいなかったと思います。

なぜそう言えるのかは後ほど詳しく申し上げますが、香取の神の経津主命や天児屋命が祀られるようになったのは、それこそこの掲示板にある「神護景雲二年」という六十年後のことなのです。

そのことについて、今回話してみます。

これは現在の春日大社のご本殿に祀られている四柱の神、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神、の成立の隠された秘密 を明かすことになります。

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どんな学者も歴代の春日社の神主もご存じない秘密とは、なに?

この秘密はどんな学者も歴代の春日社の神主もご存じない秘密です。

なぜならその文献は「弓前文書」の中の「委細心得」の中にのみ、その秘密が隠され、記されているからです。

しかも、その文章を一読二読したくらいでは分からないようにしか書いてありません。

いや、百読しても分からないかもしれません。 

すなわち

「不比等、御雷の珠(ピカの珠、建御雷命の分霊)を都に招ぎぬ。ここに、鹿島の司をしてその分霊を奉じて、都に登らしむ。

弓前和(ゆまに)、今尾比凝(いまをひこ)の時、詔(みことのり、天皇の命令)あり。

弓前和、布土の珠(フツの玉、経津主神の分霊)を奉じて都に登るべし。

今尾比凝は、自ら中津身(なかつみ、鹿島・香取の統率者)となり、鹿島の宮に移り、今人麿(いまひとまろ)を弓前和として都に登らしむ。

今人麿は、藤原姓を賜り、今和(いまに)の位にあり。

春日山の麓なる宮代に御雷と布土の珠(経津主神の分霊)を共に鎮め給いき。」

今この括弧の中に引用した文言には、実はとてもとてもたくさんの秘密が隠されています。

そのことを、その時を得た今、この文章に沿って順次を明らかにしてまいります。

そうすると、いかにして春日大社が成立したのか、ということが本当にわかるようになります。 

春日大社成立には、どのお社もそうかもしれませんが、とても多くの秘密がかくされているものです。

少し長くなりそうなのでその秘密の公開は、次回に譲ります。

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