「タジカラヲの神」は最大の宇宙神、高皇産霊(たかみむすび)の子ーかんながらの道(随神の道)ー神社ができた頃の古代史と古代語8
初代中津・弓前は天の児屋根の孫で、鹿島神宮の伝承では「天の種子(たねこ)」と伝えている。
かむながらの道の宇宙と日本古代の歴史と言葉
初代中津・弓前は天の児屋根の孫で、鹿島神宮の伝承では「天の種子(たねこ)」と伝えている。
神社創建の日本古代史で鹿島香取の創建の事が詳しいのは、「委細心得」が中津弓前(なかつゆま)一族という古代中臣氏に与えられた天の児屋根からのメッセージだからです。
大神神社以前には伊勢も鹿島・香取もなかったというのが委細心得の記述です
倭人天族が日本を席捲(せっけん、支配する)することが出来たのは稲と少し遅れて鉄をも独占しぼろ儲けができたからです。
委細心得によって鹿島・香取・伊勢の神々の実相が明らかになります。そして「鹿島立ち」の本当の意味が明らかになります。
倭人天族(わじんあまぞく)という弥生時代の日本人の模様が中国三世紀末にできた「魏志倭人伝」に詳しい。