やまと言葉のサ行の起源
弥生語におけるサ行に移ります。
サ行は基本的に「何もない」という世界の言葉なのですが、実際、弥生語を起源とするサ行の言葉が、実際の今の日本語の中にいかに溶け込んで生きているかを知るとびっくりされるかもしれません。
それほど多くの弥生語が持っているサ行の原則に基づいた使い方の言葉が、現代語には多いのです。
まず、サ行は「何もない」という意味が基本なのですが、その「何もない」という意味のスという言葉にはとても深い意味があります。
どういう事かと言いますと、この目に見える現実の世界を動かす起点となるのが、このスという言霊だということです。
教派神道などの世界では、 大元の神を「スの神」としているほどですが、皆さんはこれを何故だと思われますか?
この何もない仏教のいう「空」の状態が、動く原点だということを科学的にはこれを「真空がものを動かし発生させる」といいます。
真空になると、そこにプラスのエネルギーが発生し、活動が始まると言う法則があるということです。
般若心経の「空即是色」、すなわち、空という真空から色、万物が生まれた、とは、言い換えれば、スという真空から明在(めいざい)の宇宙が始まった、と言っているわけです。
ですから「物事の始まり」は言葉としては、「スという神」が、宇宙を生んだ根本の大元の神として認識されていたということです。
ここで、少し難しい言葉ですけれども、宇宙の始まりの言葉として、「弓前文書の神文」には次のような言葉があります
アマツㇺイマスパルヌ、という言葉です。
宇宙の始まり
アマ ツㇺ イ マ ス パル ヌ
(天は)(意図する)(始まりの真の姿は)(空<くう>から)(潜在無限の)(混沌が生まれた)と。
意味は、この宇宙の始まりの真の姿というのは、空(くう)という何もない真空から潜在無限のエネルギーの躍動が起こり、そこにあらゆる力と多様性ないし可能性とを秘めた混沌という状態が生まれたということです。
この文言は、今から二千三百年前頃に、天児屋根命(あめのこやねのみこと)から中臣氏の先祖に伝えられた「神文(かみふみ)」という文書の中の「宇宙の始まり」のところにある描写です。
にわかには信じられないことでしょうが、この宇宙創成の神文の描写は、現代の宇宙物理学の見解とそれほど隔たりはない、と言ってよいと思います。
しかし、どうしてそんなことがありえるのでしょうか?
しかし宇宙創成は今から約136億年前、そして生物が誕生したのが約38億年前、その遺伝子が、宇宙創成の約136億年前の遺伝子を受け継いでいるとすれば、宇宙創成のことも知り得ると考えられないことではない、わたしはと密(ひそ)かに思っています。
とにかく、実際に枚挙にいとまがないほど、このスという弥生語は、私たちの現代の日本語の中に多く溶け込み潜んでいます。
その用例を簡単にひとつひとつ解説してみます。
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現代語に残っている弥生語のサ行の言葉
スカスカ、スカッとする、清々(すがすが)しい 、するりと抜ける、素肌(すはだ)、すっぴん、素顔、素手(すで)、 スのまんま、素晴らしい、水が澄む、借金を済(す)ます、 進む、鼻がスースー して気持ちがいい、風がスースー入る、スラスラできる 、素直、 スッカリなくなる 、スカスカ、 スサノオという神、 蜘蛛(くも)の巣(ス)のス、などきりがないほどあります。
以上の事を一つ一つ簡単に解きほぐしてみたいと思います。
ス カ ス カ
(何もない状態が)(最大に変化している)という意味で、弥生語の原則通りです。
ス カッ とする
(<悩みが>なくなる状態が)(最大になる)という意味です。
清々(すがすが)しい、は、スカスカしい、が濁音化しただけですから、「心に何のわだかまりも無い」という意味になるわけです。
スルリと抜ける、はスルが「何もなく通りが良い状態」の意味で、リは「完了」を意味する動詞です。
少し気になるのは、この日本語のスルと英語のthrough(スルー)の類似です。
同じように「障害物が無く通す」という点です。
英語のthrough(スルー)とは、「トンネルを通す」イメージがある言葉だそうだからです。
次に、素肌、すっぴん、素顔、素手、 スのまんま、の「ス」はすべて「何もつけていないもとのまま」の意味で「何もつけていない」ということですから、明らかにもともと弥生語です。
素晴らしい、は、スパラで、
ス パ ラ シ
(何もないところだから)(自然の生気が)(躍動している)(接尾語)です。
水が澄む、借金を済ます、のスマスも「無くする」という点で同じです。
進む、はどうか。
ススム、とは、ススの動きで物事は動く+ム、は、それがどんどん増す、という意味。
鼻がスースー して気持ちいい、風がスースー入る、いずれも「何もないから」風通しが良い、ということです。
スラスラできる、は、「何も邪魔するものがないので」スラスラです。
素直(すなお)
ここの「直(なお)」とは何か、お分かりになりますか?
この「直(なお)」とは、実は、弥生語のナポピ(napopiu、直霊<なおひ>)なのです。
「直霊(なおひ)」とは、神の分霊のことで、万物に宿っている本霊(ほんれい)のことです。
別名、「奇魂(くしたま)」といいます。
実は、同じものです。
それを、「直霊(なおひ)」という一霊があって、後(あと)の奇魂・幸魂・和魂・荒魂を統一していると主張している古神道と称する人たちの霊魂観は、本田親徳(ほんだちかあつ)さんたちが言いだした誤りであることは、既に別のブログで二回も申し上げたところです。
次に、スッカリなくなる 、スカスカについては、もう説明の必要はないですよね。
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スサノヲが実は祓戸大神(はらえどのおおかみ)である弥生語による証明
スサノヲという神、これは、是非、説明したい神様の名前です。
一般にスサノヲ、とよばれていますが、この言い方は古事記・日本書紀などよって言いはじめられた表現で、元々の弥生語の正しい名前は
ス サ ノィヲ
(su) (sa) (noiwo)
(無くする) (さらに強く) (過去の世界へ無くしてしまう)という神で、実は、「スサノゥ」は「祓戸大神」と全く同じ実体なのです。
それを、言葉で論証します。
ス サ ノィヲ
(su) (sa) (noiwo)
(無くする) (さらに強く) (過去の世界へ無くしてしまう)
パラぺ ト ノィヲ(祓戸大神)
(parapai) (to) (noiwo)
(パの力で)(戸で区切られた) (過去の世界へ無くしてしまう)
という次第です。
「大祓詞(おおはらいし)」の後半に出てくる「祓戸の四柱の神」は、だから、スサノオの海の神としての変身名というわけです。
第一に、もともと、記紀編纂の段階で祓戸大神は弥生語パラぺトノィヲという表現を神名に変えたものなのです。
これは明らかな事実です。
特に、ハヤサスラ姫やセヲリツ姫はまさにスサノヲの化身を示す言葉です。
「サスラ」は「無くす働きの躍動」の意味であるし「スサ」をひっくり返したもので、「セオリツ姫」の「セ(sai)」は「ぐるぐる回転させてモノを無くする」意味の弥生語です。
そしてなぜ「姫」という女性名詞かと言うとそこには「受容する海」の意味が込められています。
受容する海の神、それはまさしく「スサノィヲ」の神そのものなのです。
最後に、蜘蛛の巣(ス)のスは、「発生する、動く元ないし家」という意味でもありますから「巣(ス)」とも言うわけでしょう。
古巣(ふるす)とは、元、大元の意味ですね。
それから、日本の車種の名がレクサスやセルシオのようにサ行が多いのは何故か、ご存知ですか?
それは、日本の自動車業界では、「サ行の車は売れる」というジンクスのようなものがあるからのようです。
今度出版した本のご紹介をします。
ご笑覧頂けたら頂けたら有り難いです
スゴすぎる古代弥生語の衝撃
上巻: 前代未聞の国語のルーツ (Kindle版)
萩原継男 (著)
やまと言葉を形成するとても大切な古代弥生語 これによって多くの重要な国語 とりわけ神事に関わる言葉の意味がよく分るようになります。この弥生語の知識なしには大切な神道の言葉はほんとうには理解出来ません。たとえば、ツミ ケガレ
マガゴト ウブスナ オオヒルメ オオナムチ スサノウ ヒフミなどの本当の語源や語義はよく分らないと思います。これがわかるには 一音一義(いちおんいちぎ)という一つの言葉には必ず一つの意味があるという原理を知る必要があります。現代国語の中に生きている母音と子音のカ行からタ行までの古代弥生語を通してその解明を試みたのが本書です。