身につけると身守りとなる神文(かみふみ)-神社ができた頃の古代史と古代語2ーかんながらの道(随神の道)
「委細心得」には、春日大社は、現在の四神が祀(まつ)られる前は三笠の山の頂上に鹿島の神のみを祀っていたことが記(しる)されている。また、弓前文書がどのように伝承されたかが記されている。そして神文は身につけると身守りとなる、と「委細心得」は記しています。
かむながらの道の宇宙と日本古代の歴史と言葉
「委細心得」には、春日大社は、現在の四神が祀(まつ)られる前は三笠の山の頂上に鹿島の神のみを祀っていたことが記(しる)されている。また、弓前文書がどのように伝承されたかが記されている。そして神文は身につけると身守りとなる、と「委細心得」は記しています。
神文(かみふみ)の委細心得(いさいこころえ)には日本の最も古い神社の成立のことが書かれている. 。そして神社は何のためにあるのかが記されている。すなわち、神社とは日本という国を守る為の霊的仕組みであったのです。
弥生語からニギハヤヒという言葉を見ると、それは二二ギにあやかった先代旧事のための創作であり、十種の神宝も三種の神器のもじりであり、結局、先代旧事は物部氏の為の古事記神話の書であったということに落ち着く。 そして、「一二三の神言」の不完全さでそのことがさらに明らかになります。
ニギハヤヒといわれる天孫の正体は、その別名である天照御魂神と天火明命(あめのほあかりのみこと)から、もう一つの太陽神の子として二二ギの命にあやかって物部氏がかついだ創作神であることが、弥生語から見て取れます。
「先代旧事本義」(せんだいくじほんぎ、620年作)という書は、それより後世の日本書紀(720年)や古語拾遺(こごしゅうい、807年)からの引用があることがバレて以来、今では「偽書」だとされています。
鈴木重胤の天津祝詞「トホカミエミタメ」説は、強引で説得力に欠け実証性もないということが判明している。