鹿島神宮の神と香取神宮の神を弥生語で解いてみます その1

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倭人天族(わじんあまぞく)と弓前文書(ゆまもんじょ)

ここでお話しすることは弓前文書(ゆまもんじょ)という仮説に基づいたお話であるということを、前もってご承知おき頂きたいと存じます。

弓前文書についてはおいおいお話ししていきます。

まず、このメインタイトルには、三つのキーワードがあります。

古代弥生語、これは、初めてお聞きになった方も多いかと思います。

まあ古代はなんとなくわかるが、弥生語ってなんだ?と思われるでしょうね。

まず、ここでいう古代とは、まあ大雑把にいって、紀元前500年あたりから紀元後500年ぐらいにしましょうか。

そこで、この時代に日本で最も活躍し日本をリードしていた人々とは、一体どんな人たちだと思いますか?
ここで弥生語と言っているのは、お米によって代表される弥生時代を日本にもたらした人々、その人たちが使っていた言葉をここではその時代をとって「弥生語」と言っています。

ではその人たちはどういう人たちだったのか、ということをここで明かします。

それは、古代、中国や朝鮮の国の人たちから「倭人(わじん)」と呼ばれていた人たちです。

倭人天族(わじんあまぞく)とも言います。

中国の魏志倭人伝(ぎしわじんでん)とか漢書(かんしょ)とかの歴史書に、しっかりとのっているのです。

そこには、今の韓国のソウルや北朝鮮のピョンヤンからみて東南の方に倭人(わじん)というものがいて島々に百余国の国があって、時々朝貢(ちょうこう、みつぎ物をもって挨拶すること)の挨拶にやってくる、と書かれています。

この倭人は、もともと日本の内陸に住んでいた縄文人ではありますが、長い長い氷河期が終わった約一万年頃の解氷期以後、海に進出して海洋民となり何千年にも亘っているので、内陸に住んでいた縄文人とは、生活圏や言語圏をかなり異(こと)にして行ったのです。

彼らはもっぱら海洋民として船を操り、九州北西の五島列島(ごとうれっとう)や今の福岡の博多あたりを拠点に、中国は山東半島の東、南朝鮮の海岸、或いは瀬戸内海、難波(なにわ)、伊勢などへ船を使って当時の彼らの生活に画期的な変革をもたらした米や鉄を仕入れては内地の縄文人たちに売り莫大な利を得て、大君(後の天皇)の下で大いに栄えていたのです。

繰り返しになりますが、その彼らが使っていた言葉こそ、ここで言う弥生語というものです。

そして、この倭人の最も大きなお得意さんが、いまの大神(おおみわ)神社を中心に栄えていた三輪一族(みわいちぞく)でした。

出典:大神神社

国内の縄文人では最も勢力のあった豪族のグループであったのです。

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三輪一族の強欲が天族の日本建国の起爆剤となった

しかしいつのまにかに、三輪一族も馬鹿じゃありませんから、天族からどんどん米や後には鉄など仕入れては、これを関東や東北に高値を付けて売りつけては大儲けをするようになるのです。

やがてこれが九州の天族の大君の知るところとなり、激怒した大君はこれをどうすべきかを、最後は、古代の意志決定方法の一つである占いによって決めます。

その専門の祭祀種族(さいししゅぞく)こそが後に鹿島・香取にやってきた中臣氏の先祖の中津・弓前一族なのです。

以上のことはすべて、天の児屋根命(あめのこやねのみこと、中津・弓前の先祖)から子孫のの中津・弓前一族に口伝えに伝えられた「弓前文書」のなかの「委細心得」という歴史書に記されています。

そしてその中津・弓前一族に紀元前300年ごろに啓示されたことを口伝えによって伝えられたものを、その一族であった香取神宮の神職である弓前値名(ゆまあてな)というものによって新たに文字化されたのです。

これを弓前文書といっているのです。

値名(あてな)はちょうど七世紀の人で、国史編纂(こくしへんさん)の為にしばしば都によびだされる神道(しんとう、かんながらの道)の精通者であり有識者でした。

当時、日本は漢字かな交じりの新しい日本語確立の為に、多くの漢字精通者である渡来人(とらいじん)を日本に招いていた時期で、値名もこれを知ってまね、天児屋根の伝言である口伝えを漢字化して残そうとしたのです。

それが「神文(かみふみ)」と呼ばれるものです。
それは、弥生語で書かれていますが、中国伝来の漢字と値名の作った造語漢字を交えた体裁の文章になってます。

一例をあげてみます。

ア マ ツム カ ム ロ ミ チ パ  ツ ノ
天 真 津  威 醸 移 現 育 造語 積 延

意味は、直訳すると、「大宇宙は意図する、神ながらの道の始まりの秩序立て」
です。

どうですか。

構文は英語やヨーロッパ語や中国語と一緒です。

でも、大和言葉は、その続きの現代日本語は、渡来人主導で出来上がった言葉なので、ウラルアルタイ語の文の構造だということがよく分かります。
朝鮮語と一緒で、最後に動詞が来るようになっています。

韓国系の渡来人が今の日本語の基礎の文法にしてしまったからです。

かといって、日本語の言葉のルーツは韓国語ではありません。

わずかに韓国語からの言葉はあることはありますが、そんな程度です。

それと、ここで特記しておくべきなのは、母音のe(え)だけは韓国から入ったものです。

元東大教授の大野晋(おおのすすむ)先生が古代日本の言葉に母音eが入った言葉が極端に少ないことを指摘されたのには、そういう理由があったのです。

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